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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)270号 判決

大阪市北区堂島浜一丁目2番6号

原告

旭化成工業株式会社

代表者代表取締役

弓倉礼一

訴訟代理人弁護士

松本重敏

青柳昤子

花岡巖

手塚一男

新保克芳

東京都渋谷区幡ケ谷2丁目44番1号

被告

テルモ株式会社

代表者代表取締役

阿久津哲造

訴訟代理人弁護士

田倉整

土肥原光圀

吉原省三

訴訟代理人弁理士

田中宏

志水浩

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、昭和58年審判第19883号事件について、平成元年11月24日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

(1)  原告は、下記特許権(以下「本件特許」という。)の特許権者である。

発明の名称 銅アンモニアセルロース繊維より成る透析用中空糸

特許出願日 昭和47年6月2日

(特願昭47-54291号)

特許出願公告日 昭和50年12月22日

(特公昭50-40168号)

特許登録日 昭和53年9月22日

登録番号 第922701号

(2)  被告(請求人)は、原告を被請求人として、昭和58年9月22日、本件特許の無効審判を請求したところ、特許庁は、同請求を昭和58年審判第19883号事件として審理したうえ、平成元年11月24日、「特許第922701号発明の特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は、同年12月11日、原告に送達された。

2  審決の理由

別添審決書写し記載のとおり、審決は、本件発明の要旨の認定に当たり、特許出願公告後の昭和52年9月6日付け、同年同月19日付け及び昭和53年3月1日付け各手続補正は、公告明細書に「延伸配向されていること」という新たな要件を追加するものであり、特許法64条の規定に違反すると判断した結果、本件発明の要旨を昭和51年10月18日付け手続補正書によって補正された明細書の特許請求の範囲に記載されたとおりの、

「全繊維長にわたって連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び10μ乃至数百μの真円形外径を有することを特徴とする透析用中空糸。」

にあるものと認め、次いで、無効事由について検討し、いずれも本件出願前にわが国で頒布された刊行物である米国特許第3547721号明細書(1970年12月15日発行、特許庁資料館昭和46年4月16日受入れ、本訴甲第10号証・審判甲第7号証、以下、「第1引用例」という。)、特公昭39-28625号公報(本訴・審判甲第11号証、以下、「第2引用例」という。)、米国特許第3228877号明細書(1966年1月11日発行、特許庁資料館昭和41年5月9日受入れ、本訴・審判甲第12号証、以下、「第3引用例」という。)及び英国特許第514638号明細書(1939年11月14日発行、特許庁資料館昭和15年5月30日受入れ、本訴・審判甲第13号証、以下、「第4引用例」という。)の各記載を引用し、本件発明は、第1引用例に記載された発明に基づいて、あるいは、第2ないし第4引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件特許は、特許法29条2項の規定に違反してされたものであり、無効にすべきものと判断した。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由のうち、本件特許の出願公告から登録までの経緯の認定(審決書16頁15行~20頁7行)は認める。

しかしながら、本件発明の要旨は、昭和53年3月1日付け手続補正書によって補正された明細書の特許請求の範囲に記載のとおり、

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸において、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び外径10μ乃至数百μの均一な真円形の横断面を有し、かつ延伸配向されていることを特徴とする透析用中空糸。」

と認定されるべきであるのに、審決は、上記特許請求の範囲の記載のうち、公告明細書に開示されている「延伸配向されていること」との要件を明記して特許請求の範囲を限定ないし明瞭化したにすぎない昭和53年3月1日付け手続補正を、特許法64条の規定に違反して許されないとする誤った判断をしたため、本件発明の要旨を誤って認定した(取消事由1)違法があり、その余の点につき判断するまでもなく、取り消されるべきである。

仮に、本件発明の要旨が審決認定のとおりのものであるとしても、審決は、引用文献記載の技術事項を誤って認定したため、本件発明の容易想到性判断を誤った(取消事由2、3)違法があるから、この点でも取り消されなければならない。

1  取消事由1(法64条違反関係)

(1)  審決は、昭和53年3月1日付け手続補正の内容について、(ⅰ)「延伸配向」が技術的事項として公告明細書に開示されているかどうかにつき検討し、「中空糸自体に関する記載では、この延伸配向については何ら記載も認識もなされておらず延伸配向についての技術的事項の開示はまつたくなされていない。」(審決書22頁2~5行)との誤った認定をした。

ただ、審決は、中空糸の製造に関する記載を検討し、「紡糸原液から中空糸の製品となるまでの間に何らかの原因で多少配向が生ずる可能性があることを完全に否定することはできない。このことから延伸配向が技術的事項として示唆されているとみることもできる。」(同27頁8~12行)としているものの、この認定は、本件発明における「延伸配向」の技術内容についての誤った理解に基づくものである。

次いで、審決は、(ⅱ)このように延伸配向についての技術的事項が公告明細書に示唆するところがあるとする場合、これを中空糸という物品の新たな規定要件として特許請求の範囲に追加することができるかどうかについて検討し、「延伸配向されている」という要件を追加することは、公告明細書の特許請求の範囲で中空糸が持つべき性質として挙げられている「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する」こと、「全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至450μの、均一な壁厚」と「10μ乃至1000μの真円形外径」を持つことの3要件以外の新たな第4の要件を特許請求の範囲に追加することであり、特許請求の範囲の減縮に該当せず、特許法64条に違反するとする誤った判断をしている。

(2)  本件発明における「延伸」とは、紡糸口金から吐出された紡糸原液の凝固が完了するまでの延伸(以下「凝固前の延伸」という。)を意味するものであるのに、審決は、本件発明において「延伸配向」がいかなる意味を有するかを本件発明の内容に即して検討せず、一般的な合成繊維に関する文献の記載によって解釈したところにそもそもの誤りがある。すなわち、審決は、本件発明における「延伸」を、単に現代繊維辞典の一般的な記載に依拠して、「凝固した状態の繊維を、緊張をかけ、引き伸ばすこと」(以下「凝固後の延伸」という。)と解釈し、公告明細書の特許請求の範囲や発明の詳細な説明の記載からして、本件発明が当然に凝固前の延伸を含むことを看過している。

すなわち、本件発明は、その特許請求の範囲に明示されているとおり、「銅アンモニアセルロース繊維より成る」中空糸に関するものであり、銅アンモニアセルロース繊維は、「流下緊張紡糸により、緩慢な凝固とその過程で行なわれる延伸を特徴」とし(甲第4号証の3、「繊維便覧 原料編」497頁9行)、「紡糸口金から押出された紡糸液は紡水とともに円すい形の紡糸漏斗中を流下し、約400倍に延伸されながら凝固して糸条となる」(同498頁下から8~6行)ことを特徴とするのである。

また、一般合成繊維(銅アンモニアセルロース繊維のような再生繊維は含まれない)の紡糸にみられるごとき浴外での二次的延伸(すなわち審決が採用した凝固後の延伸)の適当しないセルロース及びその誘導体の紡糸においては、凝固浴内で伸長を行うとして、ベンベルグ(銅アンモニアセルロース繊維)の緊張紡糸の例が挙げられており、凝固浴内で300~400倍の伸長が行われ、この延伸により配向が形成されることが示されている(甲第5号証の2、「高分子材料概説」125頁2行~126頁15行)。

したがって、銅アンモニアセルロース繊維より成る本件発明の中空糸が紡糸過程で必然的に「凝固前の延伸」を経たものであることは、当業者に自明のことであって、特に記載のない限り、一般合成繊維でみられるような凝固後の延伸を経たものであるか否かは問題にならないのである。

すなわち、「銅アンモニアセルロース繊維より成る」という本件発明の要件は、凝固前の延伸により配向したという要件を必然的に伴う反面、凝固後の延伸には全く関知しないのである。したがって、審決が依拠した現代繊維辞典の延伸の定義、すなわち凝固後の延伸に限定した定義は、銅アンモニアセルロース繊維については採ってはならない解釈である。

(3)  そして、公告明細書(甲第3号証)の発明の詳細な説明の項には、上記銅アンモニアセルロース繊維の特徴である「凝固前の延伸」について、以下のとおり、具体的に開示されている。

(a) 「本発明に係る中空糸は、・・・この吐出された紡糸原液を直接空間に自由落下せしめて充分に延伸したあと、凝固浴及び再生浴を通してフィラメントに形成することによつて製造される。」(同3欄32~38行)

(b) 「本発明によれば、自由落下域における紡糸原液は・・・空間を自由落下する際に未凝固状態即ち、流動可能な状態にあるために充分に延伸され、・・・。また自由落下による延伸によって紡糸原液が引伸され、・・・フイラメントに形成される。」(同4欄2~10行)

(c) 「このようにして・・・紡糸原液は・・・自由落下によって充分延伸されたあと、その下方に配置されたフィラメント形成装置に受取られる。」(同5欄27~31行)

(d) 「第2図は、本発明に係る製造装置の概略的全体図であり、自由落下域11は紡糸原液の延伸のため充分な距離を有していなければならない。」(同5欄32~34行)

(e) 「自由落下により充分に延伸された吐出紡糸原液は、先ず凝固浴13に導かれる。・・・落下してくる紡糸原液を鉛直状態にて受け入れるために該凝固浴内に変向棒12が配置される。これによつて紡糸原液の凝固浴13の導入位置は最終工程の巻取枠16による巻取りの引張り張力の影響を受けず、従つてこの導入位置が巻取枠16の方向に片寄ることはない。」(同5欄36~44行)

(f) また、各実施例には、得られた中空糸の外径が紡出口の孔径に比してはるかに小さいことが記載されている。例えば実施例1においては、紡糸原液を孔径5mmの紡出口より吐出し、同じに吐出する非凝固性液体とともに空間に300mm自由落下させた後、凝固浴に導き、以下水洗浴、再生浴、水洗浴を経て100m/msの紡糸速度で巻取って、外径100μの中空糸が得られたことが開示されている。

このように、公告明細書には、未凝固状態の銅アンモニアセルロース紡糸原液を自由落下させて充分に延伸することが記載されており、その自由落下の過程において、「凝固前の延伸」が行われることが具体的に開示されている。また、実施例を示す図面中には、変向棒12が存在し、これと前記(e)の記載によれば、巻取枠の引張り張力が凝固浴中に及んでいること、すなわち引張り張力による「延伸」が行われることが示されている。凝固浴に導入された紡糸原液は直ちに凝固を完了するのではなく、徐々に流動性を失いつつ凝固が進行するから、右の凝固浴内での延伸も「凝固前の延伸」に他ならない。

さらに、上記(f)に示したような「紡糸口の孔径」と「得られた中空糸の外径」の差は、紡糸原液が空間を自由落下する際の「延伸」と、(e)での巻取りの引張り張力による「延伸」に起因するものであり、凝固前の延伸が開示されていることは明らかである。

しかるに、審決は、本件発明における「延伸」を、一般合成繊維による延伸と同一視し、公告明細書に凝固前の延伸が記載されていないものと誤って認定した。

(4)  そして、凝固前の延伸が行われた場合に、配向が生ずることは、「高分子辞典」の「流動配向」の項目(甲第6号証の2)、「高分子材料概説」(甲第5号証の2、126頁9~10行)、「繊維便覧 原料編」(甲第4号証の2、81頁)等に記載があるように、当業者に自明の事実であり、現実に本件発明の中空糸に配向が生じていることも実験報告書(甲第26、第27号証)の実験結果から明らかである。

審決は、公告明細書の延伸とは、自由落下による延伸によって紡糸原液が引伸ばされることを意味しており、延伸配向を意味しないと認定するが、この認定は、延伸の語を凝固後の延伸と解している点で誤っているほか、高粘性で流動変形可能な紡糸原液の延伸をあたかも水のような低粘性の液体の流れと同視している点でも誤っている。銅アンモニアセルロースの粘度は、水の0.01ポイズに対し数百~数千ポイズであり、このような高粘性で流動変形可能な銅アンモニアセルロースでは、自由落下の間に重力の影響を受けて細い液体の流れに変わると同時に、充分に延伸配向されるのである。

(5)  公告明細書において延伸配向された中空糸が開示されていることは、同明細書中の本件発明の課題と目的の記載からも明らかである。すなわち、公告明細書には、本件中空糸につき、「このような目的に使用される中空糸は、その中空部に分離処理すべき液体あるいは分離処理された液体を流すために全繊維長にわたつて完全に貫通された中空部を保持していなければならず、しかも中空部を形成する繊維壁には部分的な破損があってはならない。また良好な膜分離性能を得るために繊維壁はその壁厚が全繊維長にわたつて均一でかつ可及的に薄くなければならない。」(甲第3号証2欄33行~3欄3行)とその課題が述べられており、本件発明は、この課題の解決を目的とすることが開示されている(同3欄19~23行)。そして、このような目的を達成して、中空部を保持するとともに繊維壁の厚みを可及的に薄くしても充分な強度と安全性を有した透析用中空糸を実現するためには、「凝固前の延伸」によって分子鎖が繊維軸方向に延伸配向された中空糸が必要なのである。

(6)  審決は、以上のように、延伸配向が公告明細書に記載されていないとする誤った認定を前提として、「延伸配向されている」との文言を付加する補正を中空糸という物品の新たな規定要件の追加と認定し、これが特許法64条に違反すると判断している。

しかしながら、本件発明にとって「銅アンモニアセルロース繊維より成る」という要件は必須のものとして、公告明細書の特許請求の範囲に記載されているのであって、上記のとおり、この要件には延伸配向することが当然に含まれており、上記補正が新たな要件の追加に該当しないことは明白である。

すなわち、公告明細書には、もともと、「凝固前の延伸」により、延伸配向された中空糸のみが開示されていたのであるが、特許請求の範囲の記載上は、そのような限定がなく、形式的には、延伸配向されたものと、延伸配向されていないものの双方を含む形となっていたので、実質的に前者のみが開示されている発明の内容と一致させるために、延伸配向されていることを明確に記載し、特許請求の範囲を減縮したものである。

したがって、「延伸配向されている」という文言を付加する補正は、特許請求の範囲を拡張又は変更するものではなく、特許法64条に違反するものではない。

そして、これに伴う効果の補正も、不明瞭な記載の釈明に該当し、当然に許されるべきものである。

(7)  以上のとおり、「延伸配向」に関する補正は特許法64条に違反しないから許されるべきであり、これが許されないことを前提として、本件発明の要旨を認定した審決は誤りであり、その認定の誤りは直ちに結論に影響を及ぼすから、違法として取消を免れない。

2  取消事由2(法29条関係・その1)

審決は、「本件発明は、甲第7号証(注、第1引用例)に記載された発明から当業者が容易に発明することができたものであって、特許法第29条第2項の規定に該当し、この規定に違反して特許されたものと認められる。」(審決書39頁末行~40頁4行)と判断するが、誤りである。

(1)  本件発明の対象について

審決は、証拠との対比認定をするに当たり、まず本件発明の対象とする透析用中空糸の範囲について、逆滲透用膜と人工腎臓透析膜の上位概念として、物質分離用透析膜をとらえ、本件発明の対象を「血液透析用だけに限られることなく、一番広い透析という概念に含まれる分離操作に使用される中空糸と解することとする。」(同37頁18~20行)と認定するが、誤りである。

公告明細書には「物質分離用膜として有用であり、逆滲透用膜あるいは人工腎臓透析膜として好適」(甲第3号証7欄36~37行)との記載があるが、逆滲透と透析とは、互いに異なった原理に基づく物質分離の手段であり、透析をいかに広く解しても、逆滲透は「一番広い透析という概念」には含まれない。

そして、公告明細書には、本件中空糸の具体的用途としては透析しか記載されておらず、実施例(8欄24~28行)にあるように、透析(具体的には血液透析用)のみが明示されている。昭和51年10月18日の第1回の補正は、特許請求の範囲を「透析用中空糸」と補正し、審決も、この補正は適法と認めているのである。

(2)  第1引用例(本訴甲第10号証・審判甲第7号証)の記載事項について

審決は、第1引用例に人工腎臓などに使用する透析用中空毛細管チューブとその製造方法が示されており、この透析用毛細管チューブの材料として銅アンモニアセルロース溶液が使用され、酸で凝固再生させてセルロースとしたものが示されていると認定している(審決書31頁6~17行)が誤りである。

第1引用例は、装置に組み込まれた毛細管の壁が膜の機能を果たすような交換・拡散装置に関するものであり、本件発明のように、中空糸それ自体を当該装置と切り離して単独で開示するものではない。すなわち、第1引用例の発明は、薄膜の毛細管は機械的強度が弱く、それ自体を単独で装置に組み込むと損傷を生じるため、毛細管の材料を補助毛細管にコーティングし、これを硬化させたのち、その状態で装置に組み込み、この段階で補助毛細管を溶解除去することによって、その目的を達成することを可能としたものである(甲第10号証訳文4頁5~12行、原文2欄53~64行)。

そして、第1引用例には、コロジオンを補助毛細管にコーティングする方法が開示されているが、それ以外の例として掲げられた銅アンモニアセルロースの場合、難揮発性溶媒を用いるため、易揮発性溶媒を用いるコロジオンの方法は銅アンモニアセルロースに適用できないものであって、結局のところ、第1引用例は、銅アンモニアセルロースを用いて膜材料の溶液を補助毛細管にコーティングする方法、その後に補助毛細管を除去する方法等の具体的な開示は一切ない。

現に原告において、この方法により銅アンモニアセルロースを用いた毛細管の製造を試みたが、コーティング及び補助毛細管の除去に関しては何らの開示がなく、原告において種々の改良をかさねた結果、ようやく第1引用例記載のものを製造することができたものの、その壁厚は33.3%とばらつきが大きく、その外形も本件発明のような真円形を示すものではなく、残留物と思われるポリスチレンが認められるなど、実用に適するようなものは製造不可能であることが判明した(甲第15~19号証)。

被告は、実験報告書(乙第4号証)によって、第1引用例の方法が追試できたと主張するが、これはその追試を行った昭和60年時点の知見を前提として、特殊な方法を用いたり、被告の独自の工夫を加えて実施したものであり、到底第1引用例の適切な追試といえるものではない。

(3)  審決の第1引用例との対比判断について

第1引用例に装置と離れて存在しうる中空糸が開示されていない以上、本件発明と第1引用例の発明とがともに、「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維からなる透析用中空繊維に関するものであつて、この点で両者は一致している」とする審決の認定(審決書38頁4~7行)は誤りである。しかも、第1引用例にはこの装置を透析に使用した例やその場合の効果は全く記載されていないから、透析用中空糸については実質上何も開示されていない。

また、審決は、「本件発明の外径は甲第7号証(注、第1引用例)の外径の数値範囲に含まれるものであり、この点で両者に差異が認められない」(同39頁5~7行)と認定するが、誤りである。

第1引用例のものが1050μ以下であることは判るが、それ以下のどの程度のものを含むのかにつき、何らの記載がない。本件発明では、中空部の形が楕円形に潰れていたとして800μを除外し、10μから数百μと規定しているのであり、この点で、第1引用例記載のものが本件発明と異ならないとした審決の認定は誤りである。

審決は、全繊維長並びに全周囲にわたって均一な壁厚及び真円形外径を有する点について、本件発明も第1引用例も同程度のものと認定する(同39頁8~14行)が誤りである。

上記(2)記載のとおり、第1引用例の開示によっては、いかように工夫を加えてみても、均一な壁厚で真円形外径を有する中空糸は得られないから、形状の変動の程度をとりあげて同程度であるとする審決の認定は誤りである。

さらに、審決は、何らの理由を示さず、本件発明がその構成をとることによる透析用中空糸としての効果も格別優れたものということはできないと判断する(同39頁15~19行)が、上記のとおり、第1引用例には透析用としての中空糸の効果はおろか、交換・拡散装置の効果についても何ら記載されておらず、これによる効果と本件発明の透析用中空糸との比較そのものができるはずがない。第1引用例の中空糸は、透析性能、凝血性等の点において本件発明のそれに比してはるかに劣るものであり、審決の認定は、その理由を欠く違法なものである。

(4)  以上のとおり、第1引用例の技術内容等の誤った認定に基づき、本件発明が第1引用例の記載から当業者にとって容易に発明ができたものとする審決の判断は誤りである。

3  取消事由3(法29条関係・その2)

審決は、「本件発明は、甲第11~13号証(注、第2~第4引用例)に記載された発明から当業者が容易に発明することができたものであつて、特許法第29条第2項の規定に該当し、この規定に違反して特許されたものと認められる。」(審決書44頁2~6行)と認定するが、第2ないし第4引用例の技術内容につき、誤った把握をし、本件発明との対比認定を誤ったものである。

(1)  第2引用例(本訴・審判甲第11号証)について

第2引用例に審決の認定する記載があることは認めるが、それは第2引用例の一部にすぎず、審決は第2引用例の内容を正確に認定していない。

すなわち、第2引用例は、主に逆浸透を利用した各種の工業的な溶液処理に関するものであり、そのことは、その適用例として、「Ⅰ 塩の水溶液成分の分離」から「V 透析」までが挙げられ、人工血管、動脈などの血液透析はVの最後に記載されているにすぎないことからも明らかである。

しかも、それに使用される中空繊維は、セルローストリアセテートからなるものであり、人工腎臓の例では、単に「再生セルロース」の言葉が使用されているにすぎず、具体的な開示は全くない。そして、この「再生セルロース」は、後記のとおり、セルローストリアセテートを鹸化した「再生セルロース」と解されるのであって、これが銅アンモニアセルロースを意味すると解するのは誤りである。

(2)  第3引用例(本訴・審判甲第12号証)について

第3引用例は、第2引用例に対応する米国特許明細書であり、技術的には第2引用例と概ね同じ内容のセルローストリアセテートについてのみ記載されているが、第2引用例と異なり、第4引用例(英国特許第514638号明細書)を引用している。その引用は、公知な方法の単なる1例として、「この繊維は英国特許第514638号の教示するところによっても製造されるかも知れない(may be made)。」(甲第12号証訳文本文4~6行、原文10欄29~30行)と述べているにすぎず、実際に第4引用例の開示する方法で得られるか否かについては何の記載もない。そして、後記第4引用例の教示するところからは、透析用の中空糸は得られないのである。

被告は、第3引用例の上記“may be made”を「製造することができる」と解すべきと主張するが、当該記載の前に”can be prepared”と一つの段落中で用語を使い分けしていることからして、原告主張のように解すべきである。

したがって、第4引用例の記載をもって、実際に透析用中空糸が得られるかのような審決の説示は誤りである。

(3)  第4引用例(本訴・審判甲第13号証)について

審決は、第4引用例の実施例10で、「中空繊維を製造する唯一の例として、銅アンモニアセルロース溶液から中空繊維を製造している例が記載されている」と認定する(審決書42頁3~5行)が、同引用例の中空繊維は、本件発明のそれと対比できるようなものではなく、発明の名称が「人造絹糸の製造における改良」であることからも明らかなように、出願当時の1937年に専ら衣料用代替物としての人絹の製造法の改良を目的とするものであり、本件発明の透析用中空糸とは全く関係がない。

すなわち、実施例10は、得られた糸が中空であったとしているが(甲第13号証訳文1枚目末行、原文5頁左欄59行)、このことは、本件発明のように連続貫通した中空部を有し、全繊維長並びに全周囲にわたって均一な壁厚及び均一な真円形の横断面をもつ中空糸を意味するものではなく、「繊維便覧 原料編」の「中空レーヨン糸」の項(甲第20号証の2、447頁)に示されているように、嵩高さ、低い見掛密度を達成するためのもので、横断面は変形しているとともに、スポンジのように多孔部のある糸を意味している。

現に同実施例の追試(甲第21号証)によれば、その製造条件をそのまま採用すると紡糸できず、原告において種々の改良を加えて出来た製品も、(a)紡糸過程で連続的に糸切れが生じ、連続して巻き取ることはできない、(b)全繊維長にわたって連続貫通した中空部を有する糸が製造できない、(c)糸の断面に中空部は殆ど観察でき、中空部があっても大部分は三日月状又は瓢箪状で、部分的に中空部を有するにすぎない等、本件発明とは全く異なっており、前記のとおり、そもそも発明の目的を異にする第4引用例によって、本件発明のような中空糸ができないとしても、何ら不思議はないのである。

なお、被告は、独自の追試(乙第7号証)により、本件発明と同様の銅アンモニアセルロースからなる中空糸が得られたとしているが、採用した紡糸ノズル及び紡糸過程からしても、第4引用例の実施例10の正確な追試とは到底いえないものである。特に、同追試は、自由落下法を採用するが、第4引用例は、上記のとおり、衣料用人絹の製造方法に関するから、このような繊維の紡糸方法としては、原告の追試で採用した流下緊張紡糸法を用いることこそが当業者の常識であり、被告の追試は、第4引用例の追試といえない。

(4)  審決の容易想到性判断について

まず、審決は、第2、第3引用例の「再生セルロース」は銅アンモニアセルロースを意味するとしているが、誤りである。そもそも銅アンモニアセルロースからなる平板状及びチューブ状(直径十数cmの筒状)の透析膜であるキュプロファン膜が一般に認識されるようになったのは早くとも1962年以降であり(甲第22号証の2、「人工腎臓の臨床」32頁)、これに先立つ1960年に出願された第2、第3引用例で使われている「再生セルロース」の語が銅アンモニアセルロース(キュプラ)を指していると解する余地は全くない。

また、第2、第3引用例は、セルローストリアセテートを逆浸透等の溶液処理用中空繊維の材料として最適なものと開示しており、血液透析への応用例としては、単に「再生セルロース」とのみ記載しているにすぎないから、ここでいう「再生セルロース」とは、セルローストリアセテートを鹸化して再生セルロースとした「鹸化セルロースアセテート」(甲第23号証の2、「化繊便覧」の「繊維の分類」表)と解すべきである。すなわち、第2、第3引用例が主な対象としている逆浸透の分野では、海水の淡水化を主目的に技術発展した経緯からも明らかなとおり、それに使用される膜は、食塩等、通常分子量数十の小さな無機塩類分子又はイオンに対する透過阻止性能が求められるので、膜の孔は極めて小さい。これに対し、血液透析用の膜は、尿素、塩等分子量数十~数千の代謝老廃物の透過性が要求されるので、膜の孔は大きい。したがって、第2、第3引用例に最適材料として開示されたセルローストリアセテートを血液透析に使うには、膜の孔をより大きくする必要があり、1960年当時、セルローストリアセテートからなる膜を鹸化すれば膜の孔が大きくなり、「塩を透過する」事実は、当業者に公知であった(甲第24号証の2・3、「JOURNAL OF APPLIED POLYMER SCIENCE」VOLUME I・1959訳文、原文135頁右欄22~43行、137頁右欄18行~138頁左欄7行)から、第2、第3引用例で血液透析用についてのみ「再生セルロース」と記載されているのは、鹸化したセルロースアセテートを指すものと解すべきである。

審決は、第3引用例が第4引用例を引用しており、第4引用例に中空繊維を製造する唯一の方法として、銅アンモニアセルロース溶液からの例が記載されていることから、第3引用例の「再生セルロース」も銅アンモニアセルロースを意味すると述べる(審決書41頁19行~42頁9行)が、第3引用例の解釈は、それ自体ですべきであり、第4引用例も、上記のとおり、「製造できるかも知れない」と記載されているのみで、材料等について何も触れるところがないこと、また、前記のとおり、本件発明のような透析用中空糸を目的とするものとは全く異なることからして、この解釈は誤りである。

審決は、第2、第3引用例のものも、本件発明のものも、同程度の中空糸が得られるものと認められると認定する(同42頁末行~43頁6行)が、本件発明では、凝血性等の問題を防ぐために膜厚、真円外径等の要件を積極的に選択したものであるのに対し、第2、第3引用例には、そのような記載は全くない。

さらに、審決は、本件発明の透析用中空糸としての効果に格別優れたものが認められない旨認定している(同43頁8~11行)が、公告明細書には、本件発明の透析用中空糸が人工腎臓用透析膜として好適であることが明瞭に記載されている(甲第3号証7欄36~37行、実施例1~5)。

審決は、また、第2、第3引用例でいう「再生セルロース」が直接銅アンモニアセルロースを指すものでないとしても、「再生セルロース」の下位概念に相当する本件発明の「銅アンモニアセルロースよりなる中空繊維が透析用中空糸として別個の発明あるいは別異の発明を構成するに足る根拠も効果もまつたく示されていない」と認定する(審決書43頁12行~44頁1行)が、誤りである。そもそも、再生セルロースといっても種々のものがあり、それぞれ製造方法、特性が異なっているから、物質分離用膜に適・不適があり、ある発明において「再生セルロース」と記載されているからといって、これがすべての再生セルロースを含むことにはならないことは当然である。

また、仮に、再生セルロースが銅アンモニアセルロースを含む上位概念であったとしても、本件発明の出願当時は鹸化セルロースアセテートの中空糸が血液透析用として公知であったが、この中空糸は、水や中高分子量物質の透過性や機械的強度が不十分で、かつ、凝血しやすいという問題を抱えており、銅アンモニアセルロースについては、透析用中空糸として成功した例はなく、前記のとおり、銅アンモニアセルロースを素材とする透析用膜としては、平板状及び直径十数cmのチューブ状のものしか実用されていなかったのである。第1引用例も、補助毛細管を使って、結果的に機械の中で銅アンモニアセルロースを素材とする毛細管を実現できることを示したにすぎないものであって、これも銅アンモニアセルロースの薄膜中空糸を造ることが不可能であった当時の技術水準を示している。

本件発明は、紡糸原液の空中自由落下という方法を新たに採用する構成によって、銅アンモニアセルロースより成る血液透析用中空糸を初めて実現したものであって、この分野でのパイオニア発明なのである。

(5)  以上のとおり、審決は第2ないし第4引用例に開示されている技術事項の把握及び本件発明との対比認定を誤り、これに基づいて本件発明の容易想到性の判断を誤ったものであることは明らかである。

第4  被告の主張

審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1について

原告は、公告明細書に、製造方法として、紡糸原液を直接空間に自由落下させて充分に延伸させることが記載されているので、本件中空糸が延伸による配向を有することは自明であると主張する。

(1)  しかし、紡糸原液の自由落下の際の延伸は、審決も的確に指摘するように、紡糸原液を引き伸ばし、細化することを意味するにすぎず、このことは、公告明細書の記載(甲第3号証4欄8~10行)からも明白である。

また、公告明細書には全く記載のない事項であるが、仮に紡糸原液の引伸しにより流動配向が生じるとしても、流動配向が消失しやすいことは文献上も明らかであり(乙第5号証の2、「工業化学雑誌」63巻9号8頁「延伸配向」の項)、紡糸原液が凝固浴に導入されても流動配向は予想どおり固定されないことが実験によっても明らかとなっている(乙第12、第14号証、実験報告書)。これに反する原告の実験結果(甲第26~第28号証)は、後記のとおり、他の原因により生じた配向をこれと混同したものである。

(2)  原告は、巻取りの引張り張力が凝固浴中に及んでいること、すなわち引張り張力による延伸が行われていることが示されていると主張するが、公告明細書には、巻取張力によって糸が引き伸ばされ「延伸」が起こっているとの記載は全くない。

再生セルロースは、凝固再生の際に相当程度収縮するので、収縮しようとする力は小さくない。凝固再生工程で巻取力により多少テンションがかかるとしても、直ちに延伸が起こるわけではなく、延伸されるか否かは引張り張力と収縮力との相対関係に依存する。収縮力が勝るときは糸条体はむしろ収縮する。巻取りによる引張り張力が糸の収縮を完全に抑えて延伸を生起せしめるようなものであることを示すに足る記載は、公告明細書には全く存在しないのである。

なお、得られた中空糸の外径が吐出口の孔径に比して小さいのは、「吐出された紡糸原液を直接空間に自由落下せしめて充分に延伸」(甲第3号証3欄35~36行)させるためであって、このことから凝固再生を経て巻き取られるまでの間に延伸されたということはできない。

凝固再生を経た中空糸は乾燥される。乾燥の際には大きく収縮し、長さ方向の収縮を制限すると配向が生じる。しかし、この場合における中空糸の配向は、明らかに延伸配向ではない。例えば、ローラーに巻き取ったままの状態で乾燥しても配向は生じるのである。

(3)  原告は、延伸配向は繊維の良く知られた性質の一つであるから、本件中空糸も当然に延伸配向されたものを含むことは当業者に自明であったと主張する。

しかし、中実糸について延伸配向されていたものが良く知られていたとしても、本件出願前に中空糸について延伸配向されていたものが良く知られていることについての立証は何もない。殊に空中自由落下によって得られた中空糸が延伸配向されていることは全く知られていないから、原告の主張は理由がない。

また、原告は、公告明細書の本件発明の課題と目的の記載からしても、延伸配向された中空糸が開示されていることは明らかであると主張するが、原告の引用部分(同号証2欄33行~3欄3行)は、形状に関するものであって、強度ないし延伸配向とは無関係の事項であり、同主張は理由がない。

(4)  原告の実験報告書(甲第26~28号証)に基づく主張は、以下のとおり、その実験方法に疑問点があり、信用できない。

すなわち、上記実験報告書のうちの2通(甲第26、第28号証)には、中空糸の製作は、公告明細書の実施例1の記載に従ったと述べているが、実施例1には、第1ないし第2図の装置及び方法により紡糸したなどと記載されている。しかし、公告明細書全体を精査しても、凝固、水洗、再生、水洗の各浴の長さについての記載がなく、これら工程を連続的に行うとすれば、数キロメートルに及ぶ設備が必要なはずであり、原告がいかにして同実施例の正確な追試を行ったか甚だ疑問である。他の1通の実験報告書(甲第27号証)においては、実際は、凝固浴を出た糸条をローラーに巻き取り、そのまま水洗、再生処理して得られた試料について配向を測定したものである。ローラーに巻き取った状態のまま再生処理をしたので、その際に生じる糸条体の繊維軸方向の収縮が制限されて配向が生じても不思議はない。しかし、これは明らかに、延伸による配向ではない。

(5)  流動状態で生じた配向(流動配向)が消えやすいことは、技術常識であり、前示「工業化学雑誌」63巻9号「延伸配向」の項(乙第5号証の2、8頁)によれば、湿式紡糸では流動性が大きすぎ、配向しても固定することができず、浴中の摩擦抵抗も配向性にはほとんど寄与しないとされている。「化学繊維」には、糸が未だ流動性を失っていないところでは、糸に作用している力は糸を流動せしめるのに寄与するだけで、構造には何ら影響を及ぼさない旨の記載がある(乙第8号証の2、245頁20~24行)。さらに、「繊維素化学及工業」にも、銅アンモニアセルロース繊維の性質について、「ベンベルグ糸はその水浴紡糸中に張力をかけても、張力は液体の変形に消費され、分子又はミセルをして平行配位を取らしめるに至らない」(乙第13号証の2、485頁本文2~4行)と記載されている。

確認のため、被告が実験を行ったところ(乙第12、第14号証、実験報告書)、紡糸原液を流動状態で延伸(引伸)しても、それだけでは出来上がった糸に配向が生じないことが明らかになった。すなわち、紡糸原液の空中自由落下後、凝固浴に導入されるという操作のみでは、得られた中空糸に配向を固定することはできないのである。紡糸原液を延伸するとの記載から、直ちに中空糸が延伸配向されていることが当業者に自明であるとは到底いえないのである。

(6)  本件において重要なのは、凝固再生時の収縮及び乾燥時の収縮を制限する際の配向である(乙第16号証、「化学繊維の紡糸とフィルム成形(Ⅱ)」、第17号証、「工業化學雑誌」474号)。本件特許の審査過程において、原告は、特許庁が引用した第1引用例の中空糸においては、乾燥するときの定長収縮のため配向が生じたとの主張を行っており(乙第18号証、「中空糸の複屈折の測定」報告書)、延伸配向とは異なる収縮による配向が存在していることを認めている。

公告明細書の記載に基づき、紡糸原液から中空糸の製品となるまでの間に、収縮による配向が生ずる可能性があると認められるとしても、それが延伸による配向、すなわち「延伸配向」であるということはできない。

(7)  原告は、「延伸」についての審決の解釈を論難するが、審決は、「化合繊」についての現代繊維辞典の記載箇所を引用して、「延伸」の意義を解釈しており、正当である。すなわち、審決引用箇所が「化合繊」に係る部分であり、これが化学繊維と合成繊維の全体についての記載であることは明らかであり、また、現代繊維辞典の延伸の項には、引用箇所に引き続いて「合成繊維製造工程では特に重要で、ナイロンは数倍に延伸される。」との記載があるから、明らかに化学繊維と合成繊維について、表現を区別していることが認められる。そうすると、審決の引用箇所が「一般合成繊維」のみに関するとする原告の主張は失当である。

(8)  本件公告明細書に記載された中空糸製造のための空中自由落下法と、通常の衣料用中実糸を製造するための流下緊張紡糸法とでは、両者間に著しい相違がある。すなわち、前者が紡糸原液の空中での細化引伸を行うのに対して、後者は口金から紡糸原液が直接紡水中に吐出され、凝固作用を受ける過程で同時に何百倍にもわたる高倍率の延伸が行われる。このことは、原告の特許出願に係る特開昭49-134920号公報(乙第3号証)に、中空糸の製造方法として、流下緊張紡糸法を用いることは適当ではないとされていることからも明らかである。すなわち、通常の温水を凝固浴とする流下緊張紡糸法により中空糸を製造するには、数メートルという非常に長い紡糸漏斗を必要とし、工業的に不可であること、また、温水による摩擦力が働いて中空繊維の外壁面が粗面になり、同時に壁厚にムラが生じるために不可能とされている(同号証6頁上段右欄9~末行)。

したがって、本件中空糸が銅アンモニアセルロース繊維であるからといって、それのみで、紡糸過程で必然的に流下緊張紡糸法と同等の「凝固前の延伸」を経るものであるとは到底いえないし、流下緊張紡糸法の延伸が本件発明にも当てはまるといえるものでもない。

(9)  銅アンモニアセルロース繊維の製造方法においては、特公昭45-25855号公報(乙第9号証)、特開昭48-9019号公報(乙第10号証)に示されるように、凝固浴から引き出した糸を一対のローラーにより浴外の延伸を行う技術があり、しかも、後者は原告の出願である。

すなわち、銅アンモニァセルロース繊維の場合であっても、一般合成繊維の紡糸にみられる如き浴外での二次延伸、すなわち凝固後の延伸が当てはまらないとはいえないのであり、原告も付加的に最終延伸すなわち浴外での二次延伸が行われていると認めているのであるから、銅アンモニアセルロース繊維においても、凝固後の延伸が存在する事実を否定することはできない。

なお、被告が実験により、配向の存在していない銅アンモニァセルロース繊維の中空糸を延伸したところ、繊維軸方向に高度の配向が認められた(乙第19号証、実験報告書)ことからも、銅アンモニアセルロース繊維について、合成繊維のような二次延伸が適用されないということはない。

2  同2について

(1)  原告は、審決が、本件発明の中空糸を「一番広い透析という概念に含まれる分離操作に使用される中空糸」と認定し、それに基づいて証拠との対比認定を行ったことを誤りと主張する。

しかし、公告明細書には、明らかに、「本発明は上述した欠点を除去するとともに、さらに逆滲透用膜あるいは人工腎臓用透析膜に使用してきわめて有用な銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸を提供することを目的とするものである。」(甲第3号証3欄19~23行)との記載があるほか、同様の記載は各所(同2欄10~12行、3欄19~23行及び7欄33~37行)にあり、さらに、実施例1ないし5においても、単に透析膜として用いるに良好な性能を示したと記載されているにすぎない。そして、「化学大辞典」(乙第20号証)によれば、「透析」について、「半透膜を使ってコロイド、高分子溶液を精製すること」との説明があることからすれば、審決が、本件発明の中空糸として、血液透析用だけに限られることなく、一番広い透析という概念に含まれる分離操作に用いられるものと認定したことに誤りはない。

(2)  第1引用例(甲第10号証)の発明は、拡散装置ならびに薄膜毛細管の製造方法に関するものであるが、「望ましい特性を有する適切な膜材料からなる薄い壁厚で非常に内径の小さな毛細管を提供すること」が第1の課題であり(同号証訳文2頁4~5行、原文1欄37~40行)、これを解決したものであるから、中空糸について明確に開示されていると認められる。装置に組み込まれた状態の記載があっても、中空糸の部分は明確に区分できる。

原告は、第1引用例の第2の課題として、「薄い壁厚の毛細管を、それに損傷を与えることなく、支持プレート中の穴に納め、シールすることであった。」(同訳文2頁7~8行、原文1欄43~45行)との記載を根拠に、装置を離れて存在しうる中空糸を開示したものではないと主張するが、ポリスチレンの補助毛細管は溶解除去され、中空糸のみを取り出すことが可能であるから、原告の主張は理由がない。

(3)  また、原告は、第1引用例には、そもそもコロジオンによる毛細管チューブの実施例しか具体的に開示されていない」と主張するが、第1引用例には、「下記の手順をコロジオン以外の例として述べておかなくてはならない。適当な酸浴処理によって水和セルロースを形成することが周知である銅アンモニア溶液・・・を用いた補助毛細管へのコーティングがある。」(甲第10号証訳文3頁20~23行、原文2欄34~40行)として、明らかにコロジオンによるもの以外の実施例が記載されている。

さらに、原告は、難揮発性溶媒を用いる銅アンモニァセルロースの場合、易揮発性溶媒を用いるコロジオンの方法を使うことはできないから、銅アンモニアセルロースについての具体的な開示はないというが、銅アンモニアセルロースの場合の溶媒は水であるから、コロジオンの場合のエタノール/エーテル溶媒は用いないだけでなく、いずれの場合も炭化水素によってポリスチレンのみを溶解することができる。したがって、溶媒、補助毛細管の溶解のいずれについても、何らの問題はなく、第1引用例には、銅アンモニアセルロースについての具体例が明確に記載されているのである。

(4)  原告は、第1引用例の追試実験(甲第15~第19号証)の結果、改良工夫を加えても、本件発明の中空糸と対比できるような中空糸は得られなかったことから、第1引用例は透析用中空糸を開示した文献ではないと主張するが、バラツキが大きかったこと、真円形を示さなかったこと、ポリスチレンの残留が認められたこと、尿素透過に格段の差があったこと等は、原告の追試において好結果が得られなかったというに止まり、それだけで、第1引用例の意義を否定することはできない。

しかも、被告の実験(乙第4号証)によれば、第1引用例の記載に従って本件発明と同様の透析用中空糸が得られている。

原告は、上記被告の実験を、独自の工夫を加えて実施した結果であると主張するが、被告が用いた方法は、いずれも当業者ならば容易に用いる技術手段を用いたにすぎないから、この主張も理由がない。

以上のとおり、第1引用例が銅アンモニアセルロースからなる透析用中空糸を開示したものであるとする審決の認定に誤りはない。

(5)  原告は、第1引用例は外径の下限を示していないから、審決の、本件発明の外径が第1引用例の発明の数値範囲に含まれるとの判断は誤っていると主張するが、実施例に開示されている500μのポリスチレン製補助毛細管に5μのコロジオンコーティングを数回繰り返す操作によれば、540μ程度の中空糸膜ができるので、本件発明の「10μから数百μ」との外径と差があるということはできない。

また、原告は、第1引用例の開示によっては均一な壁厚で真円形外径の中空糸は得られないので、本件発明とこの点で同程度であるとする審決は誤りであると主張するが、原告自身、審判事件では、「『均一』及び『真円』についても、これをわずかな誤差をも認めない概念ととらえるのは非常識であり、本件特許の出願当時の技術水準をして不可避的に生じうる範囲の変動は、上記の範疇に属する」と主張しており、本件発明における「均一」及び「真円」の要件を厳密な意味で用いたのではないというのであるから、第1引用例の発明においても同程度の中空糸が得られるとする審決の認定に誤りはない。

(6)  原告は、審決が本件発明の透析用中空糸の効果も格別優れたものといえないとする認定は誤りであると主張するが、本件発明の効果については、「NaCl分子及び尿素分子は透析するがアルブミンは透析せず、透析膜として良好な性能を示した」(甲第3号証8欄24~26行)という程度の記載が公告明細書にあるにすぎず、透析用中空糸として格別優れたものではない。また、第1引用例においても「望ましい透析ないし拡散機能を果たす薄い壁厚の毛細管膜」が提供される旨の記載(甲第10号証訳文3頁2~3行、原文2欄5~6行)があり、この意味が本件発明の上記効果を意味することは、第1引用例が出願された1967年当時の周知の技術水準から明らかであるから、審決の認定に誤りはない。

(7)  以上のとおりであるから、本件発明は、第1引用例に記載された発明から当業者が容易に発明することができたものであって、特許法29条2項に違反して特許されたものであるとする審決の判断に誤りはない。

3  同3について

(1)  第2引用例(甲第11号証)には、その発明の適用例として、原告も指摘するとおり、「V 透析」が挙げられている。そして、適用例ⅠないしⅣの場合に使用される中空繊維は、セルローストリアセテートであるが、Vの場合は「再生セルロース」と記載されている。そして、透析に関しては、「本発明を透析と組合わせた直接浸透に対して応用した例は次にのべる人工腎臓の場合である。」と記載され(同号証7頁左欄27~28行)、具体的に再生セルロースの寸法が示されているところ、その外径は200μ、内径は160μで、これらの寸法は本件発明で規定する寸法の範囲内である。また、その効果として、本件発明と同様、「再生セルロース材料は尿、その関連物質および水に対しては浸透を有しているが、血漿蛋白および血球に対しては不浸透である。」(同7頁左欄37~39行)と記載されている。

このように、第2引用例には人工腎臓用中空繊維の具体的な開示が充分になされており、一方、本件発明が人工腎臓用透析のみならず、逆滲透膜としても用いられることの記載が公告明細書にあることは前記のとおりである。

そうすると、第2引用例に示されている例の多くが逆滲透用溶液処理装置であることをもって、そこに開示されている中空繊維は、逆滲透用膜であって本件発明の引用例になりえないとする原告の主張は失当である。

また、原告は、「再生セルロース」が鹸化セルロースアセテートと解すべきであると主張するが、論文「並行流人工腎臓の構造」(乙第6号証の3)に示すとおり、1960年当時、銅アンモニアセルロースよりなる透析膜が知られていたので、「再生セルロース」は銅アンモニアセルロースをも当然に含んでいるものと解釈すべきであり、原告主張のように、鹸化セルロースァセテートと限定解釈すべき根拠はない。

(2)  第3引用例(甲第12号証)には、第4引用例(英国特許第514638号)が援用されており、この援用された第4引用例には、実施例として銅アンモニアセルロースに関する記載がある。

原告は、第3引用例には、「may be made」とあり、発明者が「can」と「may」とを使い分けていることからして、審決が第4引用例の教示するところから銅アンモニァセルロースが製造される旨の記載があるとする審決の認定を争っているが、一般の英和辞典にも「may」は可能の意味があることが示されており、文章全体からみれば、中空糸の製造方法の具体的実例を示していることは明らかである。

審決の同旨の認定に誤りはない。

(3)  第4引用例(甲第13号証)には、連続貫通した中空を有する繊維が得られる旨の記載があり(同号証訳文、原文3頁左欄55~59行)、この実施例10及び図面に従って被告が行った追試(乙第7号証)によれば、本件発明と同様の全繊維長にわたって連続貫通し、壁厚均一にして断面が円形の銅アンモニアセルロースよりなる中空糸を現実に得ることができる。

原告は、第4引用例には、材料及び記載の方法で本件発明のような中空糸が現実に得られるかどうかにつき、何らの記載がないと主張するが、誤りであり、原告の追試(甲第21号証)の結果が本件発明の中空糸の形状を備えていないとする主張も誤りである。

なお、原告は、被告が上記追試において、自由落下法を用いたことを非難するが、中空糸を製造する際に流下緊張紡糸法が適しないことは前記のとおりであるうえ、第4引用例の優先権主張日以前から、銅アンモニアセルロース繊維を製造するために、空中での自由落下法を用いることも公知であったから、被告の追試における製造方法をもって不当とすることはできない。

(4)  以上のとおり、審決の第2ないし第4引用例の記載に係る認定に誤りはなく、これとの対比に基づいて、本件発明がこれら公知文献の記載から当業者にとって容易に発明できたものであり、法29条2項の規定に該当し無効とすべきであると判断した審決の判断にも、誤りはない。

第5  証拠関係

一件記録中の書証目録の記載を引用する。成立につき不知とある書証は、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1について

(1)  本件補正の経緯

公告明細書における本件特許請求の範囲が、

「1 全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至450μの、均一な壁厚及び10μ乃至1000μの真円形外径を有することを特徴とする中空糸。

2  線状に紡出する紡糸原液の内部中央部に該紡糸原液の非凝固性液体を導入充填して吐出するとともに、この吐出された紡糸原液を直接空間に自由落下せしめて充分に延伸したあと凝固浴及び再生浴を通してフィラメントに形成することを特徴とする特許請求の範囲の第1番目に記載した銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸の製造方法。

3(略)」

にあったこと、その後、昭和51年10月18日に第1回目の手続補正がなされ、発明の名称を「銅アンモニアセルロース繊維より成る透析用中空糸」と訂正し、上記特許請求の範囲につき、第2、第3項を削除するとともに、同第1項を、

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び10μ乃至数百μの真円形外径を有することを特徴とする透析用中空糸。」

と訂正するほか、これに伴って、発明の詳細な説明の記載を訂正する補正をしたこと、さらに、昭和52年9月6日に第2回目の手続補正がなされ、上記補正後の特許請求の範囲の「中空部を有する銅アンモニアセルロース」の記載を「中空部を有し、延伸力のかかった」と訂正したこと、また、昭和52年9月19日に第3回目の手続補正がなされ、上記補正された特許請求の範囲の「延伸力のかかった」との記載を「延伸されてなる」と補正したこと、昭和53年3月1日に第4回目の手続補正がなされ、上記補正された特許請求の範囲を、

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸において、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び外径10μ乃至数百μの均一な真円形の横断面を有し、かつ延伸配向されていることを特徴とする透析用中空糸。」

と補正するとともに、これに伴って、本件発明の作用効果の記載を中心に、明細書の記載を追加訂正したこと(補正後の明細書、甲第2号証)、審決が、第2回目以降の手続き補正は、公告明細書に記載のなかった「延伸配向」の要件を新たに追加するものであって法64条に違反し、許されないと判断したことは、前示当事者間に争いがない事実及び甲第2、第3、第9号証により明らかである。

上記補正の経過とその内容によれば、昭和53年3月1日の第4回補正と、これに先立つ第2、第3回補正とは、いずれも本件発明の中空糸が「延伸配向されている」点を第1回補正後の特許請求の範囲に付加するものであって、その補正の趣旨において実質的に異なるところはないものと認められるから、以下においては、第2ないし第4回目の補正をまとめて「本件補正」と呼び、その補正事項が、公告明細書(甲第3号証)の記載に基づくものであるかどうかを検討する。

(2) 「延伸配向」の意味

審決が、一般的な「延伸」の意味を、現代繊維辞典の「延伸」の項の記載(112頁)に依拠して、「化合繊製造工程で、繊維を構成する巨大な分子の配列をよくして、抗張力の向上とか伸度の調整とかをはかるため、口金から押出された凝固した状態の繊維を、緊張をかけ、引き伸ばすことをいう」との前提に立って、「このため繊維を延伸する工程(延伸工程)で所望の倍率に引き延ばし、そのあとさらに生じた分子配列あるいは配向を固定する」ことと解し(審決書24頁8行~16行)、公告明細書の記載を検討した上、「結局、上述した一般的な意味での延伸は、中空糸の製造に関する記載をみても何ら行われていないことになる。」と判断したこと(同24頁17行~26頁13行)は、当事者間に争いがなく、審決の採用した「延伸」の定義が、原告の主張する「凝固後の延伸」であることは、審決の上記説示自体から明らかである。

原告は、「銅アンモニアセルロース繊維において」との本件発明の構成に照らし、上記一般的な意味での「延伸」の定義は、本件発明においては採用してはならないものであり、審決は、この点で既に誤っていると主張する。

甲第4号証の1ないし3により認められる「繊維便覧原料編」(昭和43年11月30日発行)の「3.キュプラ」、「3.1概説」の項の「キュプラは普通ベンベルグと呼ばれている.キュプラ(cupra)すなわち銅アンモニア人造繊維(cuprammonium rayon)は.・・・」、「現在工業的に行われている流下緊張紡糸法の基礎が作られたのは1901年であり、・・・」との記載(同号証の3、497頁)、「3・1・1キュプラ法の特徴」の項の「流下緊張紡糸法により、緩慢な凝固とその過程で行われる延伸を特徴とするキュプラは」との記載(同頁)、「3・1・3流下緊張紡糸法」の項の「紡糸金口から押出された紡糸液は紡水とともに円すい形の紡糸漏斗中を流下し、約400倍に延伸されながら凝固して糸条となる(図3・3).この延伸にあずかる力は水と糸との摩擦力が主体で、その他重力、浮力、加速度を与えている力、界面張力などがあり、これらの力の合力が巻取の力とバランスしていると考えられる.漏斗中での糸の延伸状態は紡水温度、紡水量、紡糸速度、単糸繊度、伸度などの紡糸条件で変わってくる.」との記載(同498頁)、甲第5号証の1ないし3により認められる「高分子材料概説」(昭和44年11月5日新版発行)の「一般合成繊維の紡糸にみられるごとき浴外での二次的延伸の適当しないセルロースおよびその誘導体(ビスコース、ベンベルグ、アセテート)の紡糸においては浴内での伸長率はそのまま製品の品質を決定するものとして肝要で、・・ベンベルグ糸の緊張紡糸では300~400倍(紡速60mm)にも達する.これは後者では単に水を凝固浴とするため、凝固作用がきわめて緩慢でかつ糸の全域を通じて均一に行なわれるためである(急激な外部からの凝固に基づく糸の表皮、いわゆる、スキンの形成がない).浴内の一次延伸で鎖状分子の配列、結晶化を可及的に促し紡糸を完了するこれらセルロース系人造繊維に対し、合成繊維の浴内での一次延伸では後述するように、分子鎖の配列、結晶化はむしろ可及的に避け、たんに糸状体を形成するに止める.このため一次延伸でのその伸長率も一般に低く3~4倍(紡速500~3000mm)のものが多い.」との記載(甲第5号証の2、125頁下から2行~126頁15行)及び甲第6号証の1ないし3により認められる「高分子辞典」(昭和46年6月30日初版発行)の「りゅうどうはいこう流動配向」の項目の「高分子液体(溶液、融液)の流動によってもたらされる分子の配向をいう.繊維工業においては紡糸工程に流動配向が現われる.・・・溶融紡糸などにおいては配向はノズルからの距離の関数であり、また吐出圧力、巻取り速度などに依存する.しかし、液相の変形は主として分子間のずれによってもたらされるので、分子間にもつれなどが多くないかぎり配向度はあまり向上せず、むしろ固化の際にわずかの配向が結晶化に影響をおよぼし、結晶化によて配向が向上する.」との記載(同号証の2)によれば、銅アンモニアセルロース繊維の紡糸工程においては、糸条の構造・性質を決定する上で、原告の主張する「凝固前の延伸」が関係しないものとは必ずしもいうことができず、紡糸原液の流動によっても延伸により配向が生ずる可能性が皆無ではないことが認められ、審決が補正による「延伸」の意味を、上記一般的定義に従って、「凝固後の延伸」と解釈したことは、銅アンモニアセルロース繊維の紡糸工程中、凝固前における延伸の存在を無視したものるといわなければならない。

しかしながら、審決が「延伸」に係る技術事項の記載の有無について、このような「凝固後の延伸」については公告明細書に記載がないとしつつ、「結果として一連の製造する工程のどこかで多少でも延伸配向された状態と同じような状態の配向した中空糸が生ずる可能性があるかどうかの点を検討してみる」とし、「原液が凝固浴中を通過して凝固する際には銅アンモニアセルローズは凝固が比較的緩慢で均斉に進む・・・ことが知られているので、この凝固工程では通常巻きとりの力つまり多少ともテンシヨンがかかつているので、多少配向が生じながら凝固が進行していくことも予想される。」として、配向の可能性を検討し、結論として、「このように紡糸原液から中空糸の製品となるまでの間に何らかの原因で多少配向が生ずる可能性があることを完全に否定することはできない。このことから延伸配向が技術的事項として示唆されているとみることもできる。」と認定したことは、審決書の記載(26頁14行~27頁12行)から明らかである。

そうすると、審決は、「延伸」の定義については、一般的な「凝固後の延伸」ないし二次延伸を意味するとしながらも、「凝固過程における配向の有無」といういわゆる「凝固前の延伸」による「配向」の有無につき検討を加えているのであって、凝固前の延伸について全くこれを捨象した認定判断を行っているものではないから、この点に係る原告の上記主張は採用できない。

(3) 「延伸配向」要件の意義

補正明細書(甲第2号証)と公告明細書(甲第3号証)との対比によれば、昭和53年3月1日の第4回手続補正は、特許請求の範囲に「かつ延伸配向されていることを特徴とする」という要件を付記するとともに、本件発明の課題・目的及び作用効果として、以下の記載を付加ないし補正付記するものであることが認められる。

「さらにまた、実際の使用において安全性が確保されるために、中空部を流れる液抵抗に耐える充分な強度を有すること・・・が要求される。従来人体に安全無害である透析用の素材として再生セルロース膜が知られており・・・血液透析用として人工腎臓にも、現実に使用されているが、何れも透析性能(特に中高分子に対して)が不充分でありかつ機械的強度も不満足であつた。」(甲第2号証3欄2~15行)

「本発明の目的は、上述した欠点を除去して、小型透析装置、とくに人工腎臓等の血液透析用透析膜に使用して透析性能がきわめて高く、安全に使用できる銅アンモニアセルロース繊維より成る透析用中空糸を提供するにある。」(同3欄36~40行)

「自由落下域における紡糸原液はその中央部に軸方向に連続した非凝固性液体を包含しており、従って空間を自由落下する際に未凝固状態即ち、流動可能な状態にあるために充分に延伸されると共に分子が配向され・・・また自由落下による延伸に引続き凝固再生処理され最終的に10μ~数100μの外径を有するフイラメントに形成される。この凝固再生により、前記配向が固定され延伸配向された中空糸が得られる。」(同4欄10~20行)

「紡糸原液は凝固浴13を通ることによつて凝固作用が与えられ分子の配向が固定されて、フイラメント17が形成される。」(同5欄6~8行)

「本発明の銅アンモニアセルロース繊維中空糸は、下記製造例にも記載されたごとく、数十~数百倍の紡糸ドラフトをかけることにより分子が配向され、かつそれを引続く凝固によつて配向が固定されるので、数μ~60μときわめて薄くても充分な強度と透析性能とを有する。」(同5欄32~37行)

補正明細書の上記追加的記載は、いずれも公告時の本件発明における透析用中空糸の強度に係るものであり、延伸を行って分子の高度の配向を図ることは、高分子繊維等の内部的構造に変化を与え、その性状を異なるものとする技術的意義を有するものであることは、上掲「繊維便覧原料編」及び「高分子材料概説」の記載(甲第4号証の3、497~498頁、第5号証の2、125~126頁)から公知の事実であるということができるから、「延伸配向されていること」との文言の付記は、本件透析用中空糸の性状について、これを特定する意義を持つものというべきである。

(4) 公告明細書における「延伸配向」の開示の有無

そこで、公告明細書に発明の構成として「延伸配向」及び「延伸配向」による中空糸の強度について、明示の記載ないし示唆があるか否かを検討する。

甲第3号証によれば、公告明細書中に「延伸」に関する記載としては、以下の記載があり、他にこれに関連する記載は存在しないことが認められる。

「本発明に係る中空糸は・・・この吐出された紡糸原液を直接空間に自由落下せしめて充分に延伸したあと、凝固浴及び再生浴を通してフイラメントに形成することによつて製造される。・・・また、100~120メートル/分という高速度で連続的に長時間安定紡糸して製造され得る。」(同号証3欄32~41行)

「本発明によれば、自由落下域における紡糸原液はその中央部に軸方向に連続した非凝固性液体を包含しており、従って空間を自由落下する際に未凝固状態即ち、流動可能な状態にあるために充分に延伸され・・・また自由落下による延伸によつて紡糸原液が引伸され最終的に数10μ~数100μの外径を有するフイラメントに形成される。」(同4欄2~10行)

「このようにして、その中央部に非凝固性液体を包含した紡糸原液は、紡出口4から吐出されるとともに自由落下によつて充分延伸されたあと、その下方に配置されたフイラメント形成装置に受取られる。」(同5欄27~31行)

「第2図は、本発明に係る製造装置の概略的全体図であり、自由落下領域11は紡糸原液の延伸のため充分な距離を有していなければならない。」(同5欄32~34行)

「自由落下により充分に延伸された吐出紡糸原液は、先ず凝固浴13に導かれる。凝固浴13は自由落下位置の鉛直線上に配置され、落下してくる紡糸原液を鉛直状態にて受け入れるために該凝固浴内に変向棒12が配置される。これによって紡糸原液の凝固浴13の導入位置は最終工程の巻取枠16による巻取りの引張り張力の影響を受けず、従つてこの導入位置が巻取枠16の方向に片寄ることはない。」(同5欄36~末行)

そして、自由落下領域を250mm、300mm、1000mmとし、紡糸速度を100~120m/minとした実施例8例が記載されている(同7欄40行~10欄22行)。

上記記載によれば、公告明細書には、「延伸」の語は、自由落下により所望の外径及び壁厚の均一性を有する中空糸を得る手段として記載されているに止まり、これにより分子の配向を生じさせて中空糸の強度を高める手段と結び付けた記載は何ら存在しないことが認められる。

このことは、公告明細書において、本件発明の課題及び作用効果として、「湿式紡糸法によつて連続的な単一空洞を有する中空糸を得る方法としては、特許第99034号に係る中空式人造絹糸製造法が知られている。しかしながら、この中空糸製造法によつては紡出口の孔径(実施例では2~5mm)とほぼ同じ外径を有するフィラメントしか得られず、例えば膜分離用中空糸として必要な数100μの外径を有する中空糸を得るために紡出口の孔径を小さくすれば、紡糸時に紡糸原液中に含まれる異物が詰ること、及びスケール(scale)が成長することによって紡出口の閉塞を生じ紡糸安定性の点で重大な欠陥があらわれる。また上述のような著るしく孔径の小さな紡出口を有する紡糸口金を製作することは技術的に極めて困難であり、かつ経済的にも高価なものとなる等の欠点がある。本発明は、上述した欠点を除去するとともに、さらに逆滲透用膜あるいは人工腎臓用透析膜に使用してきわめて有用な銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸を提供することを目的とするものである。」(同号証3欄4~23行)、「本発明に係る中空糸は、銅アンモニアセルロース繊維より成り、その全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有し、しかも真円形横断面を成しその壁厚が均一でかつきわめて薄いという特徴を有する」(同3欄27~31行)及び「セルロース繊維より成る中空糸を物質分離用膜として用いるには、全繊維長にわたつて完全に貫通した中空部を保持していること、及び繊維壁の厚みが均一でかつ可及的に薄いこと、の2条件を満たしていなければならない。」(同7欄21~25行)と記載されていることからも明らかである。以上の公告時明細書の記載によれば、公告時における本件発明の目的は、物質分離用膜として必要な完全な貫通した中空部を有し、外径が小さく、壁厚が均一で可及的に薄い中空糸を提供することにあり、そのために、自由落下による「延伸」という手段を採用して、紡糸口金の孔径を小さくすることなしに、後に中空部を形成する非凝固液体を軸方向中央に包含したままの紡糸原液を自由落下させることにより、重力の作用を利用して、紡糸安定性を保持しつつできるだけ引き延ばして、所望の外径ないし壁厚を原液の状態において達成することを技術的な特徴としたものといわなければならない。

そして、この自由落下による「延伸」と中空糸の強度との関係について、公告明細書が記載するところは何もないから、同明細書においては、自由落下による延伸を分子配向を得るための手段として捉えていないことは明らかである。

原告は、公告明細書の「しかも中空部を形成する繊維壁には部分的な破損があつてはならない。また良好な膜分離性能を得るために繊維壁はその壁厚が全繊維長にわたつて均一でかつ可及的に薄くなければならない。」との記載(同号証2欄末行~3欄3行)からみても、本件発明の中空糸の強度が大きくなければならないことが記載されていると主張するが、「壁厚が薄いにもかかわらず部分的な破損が存在しないこと」との特性は、中空糸の強度が大きいことによって達成される一つの特性ではあるが、上記の記載自体は中空糸ないしその膜の形状に係る特性の記載と認められるうえ、逆にこの記載の存在から、直ちに中空糸ないしその膜に備わるべき強度そのものを規定したものと解することは到底できず、他に中空糸ないしその膜の強度について触れるところがないことも前記のとおりである。

次に、巻取枠からの引張り張力による凝固中の延伸配向について検討してみても、公告明細書には、凝固浴内での延伸配向について直接触れるところがなく、公告明細書の記載中、わずかに「凝固浴13は自由落下位置の鉛直線上に配置され、落下してくる紡糸原液を鉛直状態にて受け入れるために該凝固浴内に変向棒12が配置される。これによつて紡糸原液の凝固浴13の導入位置は最終工程の巻取枠16による巻取りの引張り張力の影響を受けず、従つてこの導入位置が巻取枠16の方向に片寄ることはない。」(甲第3号証5欄38~末行)との記載から、巻取枠16の引張り張力が凝固浴内、更には自由落下位置に落下する紡糸原液に及んでいることが示唆されている。

しかしながら、上記記載の意味は、「従来の中空糸にみられるような壁厚の不均一なかたよりは、紡出口の中心と紡出口中に設けられる液体導入管の中心とをミクロン単位の高精度で一致させることが技術的にきわめて難かしいために生ずるものである。」(同3欄42行~4欄2行)との従来技術の問題点を解決するための手段として、本件発明の中空糸を得るために、中央に非凝固性液体を包含する紡糸原液を正確な鉛直方向に自由落下させる手段を採用したことに関連し、そのためには、紡糸原液の凝固浴の導入位置を正確に自由落下位置の鉛直線上に配置する必要があり、ごく僅かであっても紡糸原液の自由落下の位置が鉛直方向からずれることのないように、引張り張力の影響を排除する手段として変向棒12を設けることに関連して記載されたものであって、上記記載をもって、凝固浴内での凝固の際、糸条を延伸配向することに言及しているものとは到底理解することができない。その他、公告明細書において、巻取枠16の引張り張力により、凝固中に糸条を延伸配向することを明示ないし示唆する記載は認められない。

公告明細書に「延伸配向」についての開示のないことは、本件発明の出願後、出願公告前の昭和48年5月9日に、本件発明と同じ発明者らによって発明され、本件発明と同じく原告によって出願された、本件発明と技術分野を等しくする「透析用中空繊維及びその製法」の発明に係る特開昭49-134920号公報(乙第3号証)の記載からも裏付けられるというべきである。

すなわち、同公報には、その特許請求の範囲第1項に、「中空コァを有する銅安再生セルローズ管状体の湿潤時における電子顕微鏡的観察において、横断面ならびに縦断面の全体が大きくとも200Å以下の微細間隙を有する実質上均質かつ緻密な多隙構造体から成り、内外表面ともスキンレスで平滑な表面性状を有することを特徴とする銅安再生セルローズから成る透析用中空繊維」の発明が記載され、同第2項に、「環状ノズルの外側から銅安再生セルローズ紡糸原液を管状に押出すと同時に、その内部中心部に環状ノズルの中心部より該紡糸原液に対して非凝固性を示す有機溶媒をコア状に導入充填して押出し、この押出された紡糸原液を空気を可とするガス状雰囲気のスペース中を通して自由落下させて伸張させることにより全体物の直径を充分に縮少させ、続いてNaOH水溶液浴に導入して比較的緩慢に凝固作用を与え、かつ不完全なノルマン化を行ない、その後上記の有機溶媒をコア状に含んだ形態の中空繊維をそのまま酸処理、水洗処理を含む後処理に付することを特徴とする銅安再生セルローズから成る透析用中空繊維の製法。」(同号証1頁「特許請求の範囲」)として、その製法の発明が記載されている。

この記載と、発明の詳細な説明の項の「本発明の透析用中空繊維は、銅安再生セルローズ繊維より成るが、その物理的構造について述べれば、全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有し、しかも円形横断面を成し、その横断面の壁の厚さが均一でムラがなく、かつ極めて薄いという特徴を有する。外径は数十μ乃至数1000μの範囲であり、また横断面の壁の厚さは数μ乃至450μの範囲で任意に製造できる。」(同5頁右上欄16行~左下欄3行)との記載からして、同公報に開示された発明は、本件発明の銅アンモニアセルロース繊維よりなる中空糸と略同一の物理的構造を有する透析用中空繊維を対象とするものであることが認められるところ、「この押出された紡糸原液を直接、空気を可とするガス状雰囲気のスペース中に自由落下させて充分に伸張させ、その直径を縮少し」(同5頁左下欄12~15行)、「本発明によれば、自由落下域における紡糸原液は、その内部中心部に軸方向に連続した有機溶媒を包含しており、従って空気中を自由落下する際に未凝固状態すなわち、流動可能な状態にあるために容易に伸張され、その直径が数百μにまで縮少される。さらに表面張力の作用により、横断面の壁厚さが全長及び全周囲にわたつて均一化される。」(同5頁右下欄4~11行)、「本発明において、上述のような性質の有機溶媒をコア状に含んだ押出物を、空気を可とするガス状雰囲気のスペース中に通して自由落下させる理由を述べれば、本発明の実施例では、環状ノズルの押出し孔径は5mmであるが、このような直径の大きな線状紡糸原液を通常の温水を凝固浴とする流下緊張紡糸法により凝固させるには、数mという非常に長い紡糸漏斗を要し、工業的に不可であること、また温水による摩擦力が働らいて中空繊維の外壁面が粗面になり、同時に壁厚にムラを生じ易いことのために不可であることなどである。・・・別の積極的な理由として伸張によるフイラメントの径の縮少がある。本発明ではフイラメントを凝固浴中で積極的に緊張し延伸することは中空繊維の壁厚にムラを生じ易いために避けなければならず、凝固浴に導入する以前にフイラメントの径を縮少し、この部分で殆どフイラメントの径を決定しておく必要がある。また凝固浴中における延伸は、最終的に得られる中空繊維の透析性能を低下せしめるという知見が得られており、このような意味からもノズルから押出された紡糸原液を空気中等に自由落下させて、その径を縮少させておく必要がある。」(同6頁右上欄9行~左下欄14行)との各記載によれば、原液の空中での自由落下は、最終的な中空繊維の直径をここで決定するため、専ら紡糸原液をできるだけ伸張してその直径を縮小するものとしての意義を有しているとされており、凝固浴中での延伸は製品の透析性能を低下せしめるため望ましくないと認識されていたことが認められる。

そして、同発明による銅安再生セルローズ繊維の強度については、「このように本発明の透析用中空繊維の引張り強さが上記した従来品よりも高い理由の1つは、本発明の透析用中空繊維の有するセルローズの重合度が、従来品の有する重合度よりも高いことにあるものと考えられる。」(同5頁左上欄9~13行)として、原料の重合度を高くすることによって所望の強度を達成している旨が述べられており、同公報の記載全体を検討しても、紡糸原液の自由落下による伸張及び凝固浴内での延伸によって、繊維分子の配向を起こさせ、これによって繊維の強度を高めるという発想自体あるいはこの発想に基づいた意味付けを示す記載は見当たらないことが認められる。

すなわち、後願発明の出願時に、仮に紡糸原液の自由落下による伸張及び凝固浴内での延伸によって、繊維分子の配向を起こさせ、これによって繊維の強度を高めるという知見があったとするならば、本件発明と基本的構成において異なるところのない後願発明においても、このことに言及し、その繊維が「延伸配向されている」ことを開示するのが自然であり、これを妨げる事由は特にないと認められるところ、上記のとおり、後願発明の公報には、このような記載がないのであるから、後願発明の出願時においても、このような知見は得られていなかったと認めるほかはなく、したがって、これに先立つ本件発明の出願時においても、このような知見はなかったことを窺わせるに十分といわなければならない。

原告は、実験報告書(甲第26~28号証)を提出し、本件発明の実施例記載の製法によって得られた中空糸が実際に延伸配向されていること、また、凝固浴内で現実に約1.9倍に延伸されていることを立証するが、仮に本件発明の実施例記載の物品が、その性状を備えていたとしても、公告明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明中、かかる物品の性状(強度)について何らの記載がない以上、この点は、公告明細書において、本件発明の構成として明示ないし示唆されていなかったというほかはない。

その他本件全証拠によっても、この点が公告明細書において開示されていたことを認めるに足りる資料はない。

(5) 本件補正の適否

以上の検討に従えば、特許請求の範囲に「延伸配向されている」との要件を付加する本件補正は、形式的には特許請求の範囲の減縮に該当するものの、これによって、本件補正前の特許請求の範囲に記載された中空糸の発明に対し、中空糸の内部的構造に差異を生じさせる「延伸配向」という新たな要件を加え、その性状につき新たな規定をすることにほかならず、実質的に発明の要旨を変更するものであって、特許法64条(平成5年4月23日法律第26号による改正前のもの、以下同じ。)所定の公告後の補正の要件を満たすものとはいえないものといわなければならない。

審決のこれと同旨の判断は相当であり、原告の取消事由1の主張は理由がない。

2  取消事由2について

1で検討したところによれば、本件発明の要旨は、審決認定のとおり、前示昭和51年10月18日付けの第1回手続補正による特許請求の範囲に記載されたとおりのものというべきである。

これによって、本件発明の要件を列挙すると、以下のとおりとなる。

〈1〉  銅アンモニアセルロース繊維よりなる透析用中空糸であること

〈2〉  全繊維長にわたって連続貫通した中空部を有すること

〈3〉  全繊維長及び全周囲にわたって数μ乃至60μの均一な壁厚を有すること

〈4〉  全繊維長及び全周囲にわたって10μ乃至数百μの真円形外径を有すること

一方、第1引用例(甲第10号証)には、以下の記載があることが認められる。

「クレーム」として、

「1.以下のステップからなる薄い壁厚の毛細管の製造プロセス、即ち、補助毛細管の外表面に少なくとも一度、膜形成性であり、拡散性ないし熱伝導性のコーティング物質及びかかるコーティング物質に変換可能な出発物質から選択された物質の、該補助毛細管を溶解しない第一の溶媒への溶液を塗布すること、該溶液を補助毛細管の上に連続した管状膜を形成させるに十分な量塗布すること、補助毛細管に該膜を溶解せず、該補助毛細管の内部に浸透することが可能な第二の溶媒を作用させること、該第二溶媒を該管状膜を完全な状態に保ちつつ、該補助毛細管を内側から完全に溶出するに十分な量作用させること、該膜が該出発物質からなっている場合には、後者を該物質に変換すること。(2~5略)

6 クレーム1において、該補助毛細管が紡糸可能な熱可塑性樹脂の溶融物から紡糸されたものであるプロセス。

7 クレーム6において、該溶液が銅アンモニアセルロース溶液であり、最初に形成された管状膜が酸浴で処理することによって水和セルロースに変換されるプロセス。(以下略)」

「開示の要約」として、

「最初に補助毛細管をコーティングし、コーティングされた補助毛細管をプレート中のそれぞれの穴にシールし、その後、補助毛細管を溶かし出して、適当に硬化されたコーティング部が、開口した毛細管を形成する形で残留するようになすことによって毛細管が製造される。」

「発明の背景」として、

「この発明は、交換および拡散装置、特に毛細管の壁が、膜の機能を果たすような交換・拡散装置及びその製造方法に関する。

複数の毛細管が平行に間隔をおいて並べられた交換・拡散装置が、例えば毛細管中を血液が流れ、透析液が毛細管の間を流れるような血液透析において求められている。例えば、人工腎臓のような、かかる装置に対しては毛細管の壁は、水和セルロースからつくることができる。

現在に至るまで、かかる装置の製造に関して、2つの主要な課題が未解決であった。最初の課題は、望ましい特性を有する適切な膜材料からなる薄い壁厚で非常に内径の小さな毛細管を提供することにあった。(例えば、人工腎臓の場合、壁厚は25μm以下で、内径は1mm以下とすべきである)

2つ目の課題は、薄い壁厚の毛細管を、それに損傷を与えることなく、支持プレート中の穴に納め、シールすることであった。

本発明の目的は、上述の課題を解決することである。」

「発明の概要」として、

「又、本発明により、2つの間隔をおいて並べられたプレートを有し、各々のプレートは複数の穴を有し、毛細管膜が各々のプレートの各々の穴に納められ、他のプレートの穴に達しており、各々の毛細管膜の外表面は穴の壁にシールされており、各々の毛細管膜は開口した管であって、補助毛細管の上にコーティングし、しかる後に補助毛細管を除去することによって作られたものであるような交換・拡散装置が提供される。」

「発明の詳細説明」として、

「例

0.5mmの外径と80μmの壁厚を有するポリスチレン製の中空管をコロジオンのエタノール/エーテル混合溶液の浴に通し、コーティング後、乾燥する。このコーティング層を次にそれが、補助毛細管の外表面にコーティング層として存在している状態のまま、硫酸水素ナトリウムで脱硝する。

この外表面は、例え最初のコロジオンコーティングが、5μm程度の毛細管膜に該当するような極端な薄さであったとしても、脱硝時の十分な機械的安定性を保証してくれる。

上述(コロジオン溶液を用いた例)のコーティングプロセス及び乾燥、後処理(脱硝酸の例)工程は、補助毛細管の外壁に多重層を形成するため、引き続いて数回繰り返すことができる。

下記の手順をコロジオン以外の例として述べておかなくてはならない。適当な酸浴処理によって水和セルロースを形成することが周知である銅アンモニア溶液、更には必要な硬化剤及び溶媒を加えたシリコンラバーの溶液を用いた補助毛細管へのコーティングがある。乾燥及び化学反応による硬化の後、重合したシリコンゴムの皮膜が補助毛細管の外壁表面に形成される。・・毛細管を穴にセットする操作の際、コーティングされた毛細管は、補助毛細管によって保証される十分な機械的強度のために、例えばピンセットのような道具を用いて十分に硬直した状態で取り扱うことが出来る。包埋剤が硬化した後、毛細管はこれ以上機械的応力にさらされることはなく、そのため、この段階で毛細管を内側から洗浄するのに適した有機溶媒を用いて補助毛細管を安全に溶出する上述の分離を始めることが可能となるのである。ポリスチレンを用いる最初に述べた例では、塩素系炭化水素溶媒の使用が可能である。

本発明の前提条件は、勿論コーティング及び溶出操作に際して、補助毛細管に使用される物質の溶解性が、少なくともある溶媒に関して、毛細管膜を形成する物質の溶解性と異なることである。例えばエタノール/エーテル混合液ではコロジオンは溶解するが、ポリスチレンは影響を受けない。一方、脱硝によって形成される水和セルロースは、ポリスチレンとは逆に、有機炭化水素には不溶である。」

以上の記載によれば、第1引用例には、望ましい透析ないし拡散機能を果たす薄い膜厚を有する銅アンモニアセルロース繊維からなる毛細管膜が記載されており、人工腎臓の場合、膜厚が25μm以下で、内径は1mm以下(外径は1050μm以下)とすべきことが開示されている。そしてこの毛細管膜は、熱可塑性のポリスチレン製の中空管(内径1mm以下)の外表面に銅アンモニア溶液を多重層にコーティングし、装置に組み込んだ後、補助毛細管であるポリスチレン中空管を溶解して得られるというものであるから、全繊維長にわたって貫通した中空部を有し、その形状は、中空管の真円に近い中空部とコーティングによる一定の壁厚をもった真円に近い形状を保持することが当然に看取できる。

そうすると、第1引用例に記載された発明によって製造される銅アンモニアセルロース繊維からなる毛細管膜は、その外径、膜厚、形状に係る本願発明の要件〈1〉ないし〈4〉のすべてを備えているものであり、本件発明は、実質的に同一であるか、少なくとも当業者がその記載から容易に発明をすることができるものというべきである。

原告は、第1引用例は、独立に毛細管膜の製造方法を開示するものではなく、装置としての製法にすぎないと主張するが、上記のとおりクレーム1、6及び7は、装置と別個に毛細管膜の製法を明らかに開示しており、主張は理由がない。

また、原告は、原告の実験報告書(甲第15ないし第19号証)を提出して、第1引用例の方法によって得られた毛細管膜が、本件発明と同様の均一な膜厚を備えていないと主張するが、被告の提出に係る実験報告書(乙第4号証)によれば、壁厚の均一なほぼ真円形形状のそれが得られたとされており、その際に用いられた製法が特殊のものでないことからして、少なくともある種の条件のもとで、第1引用例の開示するところから、本件発明と同程度の膜厚、外径を有し、それが均一かつ真円形を呈する銅アンモニアセルロースの毛細管膜が得られることは否定できないものというべきである。

そうすると、本件発明は、第1引用例の記載に基づいて当業者であれば容易に発明をすることができたものというほかはなく、これと同旨の審決の判断は相当である。

原告の取消事由2の主張は理由がない。

3  結語

以上のとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく、本件発明の特許を無効とするとした審決は正当であり、その他審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 木本洋子)

昭和58年審判第19883号

審決

東京都渋谷区幡ケ谷2丁目44番1号

請求人 テルモ株式会社

東京都港区虎ノ門2丁目5番5号 ニュー虎ノ門ビル5階 田中宏特許事務所

代理人弁理士 田中宏

東京都渋谷区幡ケ谷2-44-1 テルモ株式会社内

代理人弁理士 志水浩

大阪府大阪市北区堂島浜1丁目2番6号

被請求人 旭化成工業株式会社

東京都港区赤坂1-9-15 日本短波放送会館内

代理人弁理士 光石英俊

上記当事者間の特許第922701号発明「銅アンモニアセルロース繊維より成る透析用中空糸」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。

結論

特許第922701号発明の特許を無効とする。

審判費用は、被請求人の負担とする。

理由

Ⅰ(本件発明)

本件特許第922701号発明(以下、本件発明という)は、昭和46年6月2日に出願され、昭和50年12月22日に特公昭50-40168号として出願公告され、昭和53年9月22日に設定登録されたものである。

そして、その発明の要旨は、下記Ⅳで詳述する理由により、出願公告され、昭和51年10月18日付手続補正書によつて補正された明細書および図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載されたとおりの

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び10μ乃至数百μの真円形外径を有することを特徴とする透析用中空糸」にあるものと認める。

Ⅱ(請求人の主張)

これに対して、請求人は、「特許第922701号の特許を無効とする。審判費用は被請求人の負担とする。」との審決を求め、その理由として主張しているところを要約すると次のようになる。

(1)本件特許発明は、出願公告された後、昭和51年10月18日付手続補正書、昭和52年9月6日付手続補正書、昭和52年9月19日付手続補正書および昭和53年3月1日付手続補正書によつて補正された明細書および図面に基づいて特許権が設定登録されているが、第4回目の手続補正、第3回目の手続補正および第2回目の手続補正は、それぞれ特許請求の範囲に記載された構成に欠くことができない事項について減縮しようとする補正ではなく、特許請求の範囲に記載されていない事項を新たに追加して構成に欠くことができない事項とするものであるから、特許法第64条の規定に違反したものであつて、特許法第42条の規定に基づき第4回目、第3回目および第2回目の各補正がなされなかつた特許出願について特許がされたものとなる。すなわち、出願公告され、昭和51年10月18日付手続補正書によつて補正された明細書および図面が本件無効審判での対象となるべき特許発明である。

(2)前記(1)の理由により補正がなされなかつた特許出願の発明は、本件特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明であるか、前記刊行物に記載された発明から容易に発明することができたものであるから、本件特許発明は特許法第29条第1項第3号あるいは同条第2項の規定に違反して付与されたものである。

その証拠として甲第7号証、甲第11~13号証を提出し、さらにその他の甲号証を補強証拠として提出している。

(3)もし(1)の補正が認められたとしても、本件特許発明は、本件特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明であるか、前記刊行物に記載された発明から容易に発明することができたものであるから、本件特許発明は特許法第29条第1項第3号あるいは同条第2項の規定に違反して付与されたものである。

その証拠として甲第11~13号証、甲第2号証と甲第14号証、甲第7号証を提出し、その他の甲号証を補強証拠として提出している。

(4)本件特許発明は、明細書の記載が下記の(イ)~(ホ)の点で不備があり、特許法第36条第4項または第5項の規定に違反して付与されたものである。

(イ)特許請求の範囲で壁厚を「数μ乃至60μ」外径を「10μ乃至数百μ」と限定しているが、これらの数値のうち「数μ」とか「数百μ」とはどんな具体的な数値なのか、発明の詳細な説明の項をみてもまつたく説明がなく、不明である。

(ロ)同様に「均一な壁厚」とか「均一な真円形」という表現をとつているが、この「均一」とはどういう意味なのか不明である。というのは壁厚にしても30%の変動があるのもこの均一の範囲に含まれるなどとしているのでこの表現は発明の規定の仕方としてまつたくおかしい。また真円形にしても相当扁平な円形に近いものも真円形に入るとしているので均一な真円形という規定の仕方自体がおかしい。

(ハ)また同様に「延伸配向」なる表現についてどの程度配向しているのか発明の詳細な説明でもまつたく説明されておらず、具体例でもまつたく不明である。このようなことからすると「物」の特定要件の表現として不適当である。

(ニ)また同様に「充分なる強度と透析性能」という表現がなされているが、発明の詳細な説明のところでは何も説明がなく、具体的にどのようなことなのかまつたく不明である。

(ホ)被請求人は本件特許発明が物自体であるにもかかわらず、物を製造する方法をるる述べて従来のものとの相違する旨を主張しているように、本件特許発明は製造する方法に特徴がある以上、本件発明に対応する米国特許で製法限定された物を請求しているのと同様な製法を限定した物として表現すべきものである。

(5)本件特許発明は、特許法第29条第1項柱書に違反してなされたものである。

これらの主張のために請求人から提出された甲各号証および参考資料は以下のとおりである。

証拠方法

甲第1号証 TRANSACTIONS、 American Society for Artificial Internal Organs、第〓巻第44~50頁.(1966年)(東京慈恵会医科大学附属図書館昭和41年12月5日受入)

甲第2号証 米国National Technical Information Service 1970年5月発行Reseach and Development Progress Report NO.549「Development of Hollow Filament Tech no logy for Reverse Osmosis Desa lination Systems」第1~11頁(国立国会図書館昭和46年11月25日受入)

甲第3号証 1949年オランダ国Elsevier Publishing Company発行P.H Hermans著「Physics and Chemis try of Cellulose Fibres」第356~372頁

甲第4号証 英国特許第1272800号明細書(1972年5月3日発行)

甲第5号証 米国特許第1713679号明細書(1929年5月21日発行)(特許庁資料館昭和4年10月21日受入)

甲第6号証 米国特許第1631071号明細書(1927年5月81日発行)(特許庁資料館昭和2年9月15日受入)

甲第7号証 米国特許第3547721号明細書(1970年12月15日発行)(特許庁資料館昭和46年4月16日受入)

甲第8号証 特公昭50-40168号公報(本件特許の公告時公報)

甲第9号証 本件特許の昭和51年10月18日付手続補正書の写し

甲第10号証 本件特許の特許法第64条に基づく訂正公報

甲第11号証 特公昭39-28625号公報

甲第12号証 米国特許第3228877号明細書(1966年1月11日発行)(特許庁資料館昭和41年5月9日受入)

甲第13号証 英国特許第514638号明細書(1939年11月14日発行)(特許庁資料館昭和15年5月30日受入)

甲第14号証 英国特許第389336号明細書(1933年3月16日発行)(特許庁資料館昭和8年7月1日受入)

甲第15号証 甲第2号証の国立国会図書館による昭和46年11月25日受入証明書

甲第16号証 昭和31年6月25日丸善株式会社発行、厚木勝基著「繊維素化学及工業」第482~484頁

甲第17号証 昭和53年6月30日株式会社幸書房発行、大矢晴彦編著「膜利用技術ハンドブツク」第47~55頁

甲第18号証 米国特許第3547721号(甲第7号証)の追試実験に関するテルモ株式会社技術開発部所属高原和明、同下田一弘による実験等報告書

甲第19号証 甲第18号証によつて製造した中空糸に関するテルモ株式会社技術開発部所属の遠藤匠による分析結果報告書

甲第20号証 特開昭55-49107号公報(従来の先行技術部分)

甲第21号証 米国特許第2456650号明細書(1948年12月21日発行)(特許庁資料館昭和31年12月4日受入)

甲第22号証 米国特許第3547721号の追試実験に関するテルモ株式会社技術開発部所属の高原和明、同下田一弘による実験等報告書

甲第23号証 米国特許第3888771号明細書(1975年6月10日発行)

甲第24号証 東京工業大学工学部有機材料工学科教授・工学博士 宮坂啓象による甲第25号証に関する所見書

甲第25号証 京都大学化学研究所高分子結晶学部門、助教授、片山健一による「X線による中空糸の配向測定」(本件特許の審査過程で提出されたもの)

甲第26号証 旭化成工業株式会社医用機器開発部中村禎作による「中空糸の複屈析の測定」(本件特許の審査過程で提出されたもの)

甲第27号証 本件特許に対応する米国特許取得後の再発行特許の審査経過での本件特許発明者牧田実の宣誓供述書の写し

甲第28号証 米国再発行第32227号明細書の審査過程で提出されたAMENDMENTとREMARK部分の写し(1981年6月16日付)

甲第29号証 米国再発行第32227号明細書の審査過程で提出されたREMARK部分の写し(1982年5月24日付)

参考資料1 特開昭49-134920号公報(甲第13号証の補強)

参考資料2 東京高等裁判所昭和43年(行ケ)第22号判決(昭和47年10月17日言渡)

参考資料3 東京高等裁判所昭和54年(行ケ)第142号判決(昭和56年1月29日言渡)

参考資料4 本件特許の公告時公報と補正後の公報の対比表

Ⅲ(被請求人の主張)

一方、被請求人は、「本件審判の請求は成り立たない。審判費用は請求人の負担とする。」との審決を求め、その理由として主張しているところを要約すると次のとおりである。

(1)出願公告後になされた補正はすべて特許法第64条の規定を満足するものである。請求人の主張は出願公告された明細書に延伸配向という表現がないことを形式的にとらえただけのものであつて、補正前の明細書に具体的に技術的事項として延伸配向が開示されており、本件特許発明の具体的な目的の範囲内での上述の技術的事項の減縮的変更である。つまり形式的には構成要件の付加であるが延伸配向のされていない中空繊維を排除し、これと区別するための補正であつて、実質的な特許請求の範囲の減縮に該当し、実質的な変更には該当しない。

(2)前記(1)で述べたように補正は特許法第64条の規定を満足するものであるから、補正がなされなかつた特許出願について特許がなされたことを前提とする主張は失当であり、本件特許発明が請求人の提出した甲各号証に記載された発明でもないし、これらに記載された発明から容易に発明することができたものでもない。

(3)本件特許発明は、甲第11~13号証、甲第2号証と甲第14号証、さらに甲第7号証のいずれにも記載された発明でもないし、これら甲各号証から容易に発明することができたものでもない。

(4)本件特許発明は、請求人が指摘するような明細書の記載に不備な点はまつたく存在せず、したがつて、特許法第36条第4項又は第5項の規定を満足している。

(5)本件特許発明は、発明の完成度、産業上の利用性について何ら問題はなく、特許法第29条第1項柱書の規定を満足している。

そして、これらの主張を補足するため乙第1号証~乙第9号証を提出しており、これら乙号証は次のとおりである。

乙第1号証 昭和45年10月30日丸善株式会社発行、繊維学会編「繊維便覧原料篇」第80~81頁

乙第2号証 昭和46年6月30日株式会社朝倉書店発行、高分子学会高分子辞典編集委員会編集「高分子辞典」第74~75頁の「延伸」の項

乙第3号証 「高分子」第21巻第247号第512~518頁(昭和47年10月1日発行)

乙第4号証 米国特許第3422008号明細書(1969年1月14日発行)

乙第5号証 米国特許第3423491号明細書(1969年1月21日発行)

乙第6号証 米国特許第3547721号明細書(甲第7号証)のほん訳文

乙第7号証 京都大学教授片山健一による意見書(甲第24号証の宮坂教授の所見書に対するもの)

乙第8号証 エンカ社の中空糸製品「CUPROPHAN」に関するカタログの写しとその部分訳

乙第9号証 旭化成工業株式会社繊維技術開発総部 HF技術開発部所属の井上守、同鶴見隆による中空糸の壁厚変動率に関する測定報告書

Ⅳ(補正の特許法第64条の適否)

A(出願公告から登録までの経緯)

(1)本件発明は、昭和50年12月22日に出願公告されたが、この際の特許請求の範囲は以下のとおりの中空糸、中空糸の製造方法、および中空糸の製造装置に関するものである。

「1 全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至450μの、均一な壁厚及び10μ乃至1000μの真円形外径を有することを特徴とする中空糸。

2 線状に紡出する紡糸原液の内部中央部に該紡糸原液の非凝固性液体を導入充填して吐出するとともに、この吐出された紡糸原液を直接空間に自由落下せしめて充分に延伸したあと凝固浴及び再生浴を通してフイラメントに形成することを特徴とする特許請求の範囲の第1番目に記載した銅アンセニアセルロース繊維より成る中空糸の製造方法。

3 下方空間に向つて同芯配置された二重紡出口の外側紡出口を紡糸原液滞留室の吐出口とし、中央紡出口を該紡糸原液の非凝固性液体の充填口とするようになつた紡糸口金装置と、前記紡糸口金装置の下方に配置されたフイラメント形成装置とを有し、前記フイラメント形成装置の吐出紡糸原液受取部分は前記紡糸口金装置の垂直下方に存することを特徴とする特許請求の範囲の第1番目に記載した銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸の製造装置。」

(2)これに対して、特許異議申立が二件あり、これに伴つて、特許請求の範囲の第2番目の中空糸の製造方法と第3番目の中空糸の製造装置を昭和51年10月18日に特願昭51-123797号として分割出願し、同時にこの第2番目と第3番目の発明を本件出願より削除して、第1番目の発明だけに限定するとともに同日付手続補正書で次のように特許請求の範囲が補正された。

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び10μ乃至数百μの真円形外径を有することを特徴とする透析用中空糸」

(3)その後、審査官による昭和52年6月17日付の拒絶理由通知に対して昭和52年9月6日付手続補正書で特許請求の範囲がさらに次のように補正された。

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有し、延伸力のかゝつた銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び10μ乃至数百μの真円形外径を有することを特徴とする透析用中空糸。」

(4)そして上記(3)のあとさらに同年9月19日付手続補正書で特許請求の範囲が次のように補正された。

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有し、延伸されてなる銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸にして、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び10μ乃至数百μの真円形外径を有することを特徴とする透析用中空糸。」

(5)これに対して再度の審査官による昭和52年12月23日付の拒絶理由通知に対して昭和53年3月1日付手続補正書で特許請求の範囲が次のように補正された。

「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルロース繊維より成る中空糸において、全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至60μの均一な壁厚及び外径10μ乃至数百μの均一な真円形の横断面を有し、かつ延伸配向されていることを特徴とする透析用中空糸。」

そして、この手続補正書によつて補正された明細書および図面により設定登録されている。

B(補正の特許法第64条の適否)

本件無効審判の対象となる特許発明を確定するために、請求人の申立事由の第1の主張である出願公告後の補正が特許法第64条の規定に違反してなされたものであるのかどうかの点について検討する。

まず、昭和53年3月1日付手続補正の内容について検討するが、検討するに際して、

(ⅰ)「延伸配向」が技術的事項として明細書に開示されているのかどうか。

(ⅱ)技術的事項として開示されている場合に、これを新たな要件として特許請求の範囲に追加することが特許法第64条の規定に違反しているのかどうか。

の二点に分けて行うこととする。

(ⅰ)の点について、

「延伸配向」について技術的事項が出願公告された明細書中に開示されているのかどうか検討する。

〈1〉はじめに「中空糸」に関する記載を検討する。出願公告された明細書の記載をみてみると、そのもつべき要件として明示されているものは、

(1)全繊維長にわたつて完全に貫通した中空部を保持していること、

(2)及び繊維壁の厚みが均一でかつ可及的に薄いこと、

の2条件が満たされなければ物質分離用膜として用いられない(甲第8号証 第7欄第21~25行)としており、

さらに、外径と壁厚、内径について好ましい具体的数値がそれぞれ示され、外径については真円形外径である旨の記載がなされているだけであつて、延伸配向について何ら記載するところも有するべき性質として認識もされていない。

したがつて、中空糸自体に関する記載では、この延伸配向については何ら記載も認識もなされておらず延伸配向についての技術的事項の開示はまつたくなされていない。

〈2〉次に、中空糸の製造に関する記載を検討する。この点について、被請求人は下記の(A)~(F)の6つの点から延伸配向の技術的事項が十分開示されていると主張している。

(A)「本発明に係る中空糸は、………この吐出された紡糸原液を直接空間に自由落下せしめて充分に延伸したあと、凝固浴及び再生浴を通してフィラメントに形成することによつて製造される。………また100~120メートル/分という高速度で連続的に長時間安定紡糸して製造され得る。」(甲第8号証3欄32行~41行)

(B)「本発明によれば、自由落下域における紡糸原液は………空間を自由落下する際に未凝固状態即ち、流動可能な状態にあるために充分に延伸され、………。また自由落下による延伸によつて紡糸原液が引伸され………フィラメントに形成される。」(同4欄2行~10行)

(C)「このようにして、………紡糸原液は、………自由落下によつて充分延伸されたあと、その下方に配置されたフィラメント形成装置に受取られる。」(同5欄27行~31行)

(D)「第2図は、本発明に係る製造装置の概略的全体図であり、自由落下域11は紡糸原液の延伸のため充分な距離を有していなければならない。」(同5欄32行~34行)

(E)「自由落下により充分に延伸された吐出紡糸原液は、先ず凝固浴13に導かれる。………落下してくる紡糸原液を鉛直状態にて受け入れるために該凝固浴内に変向棒12が配置される。これによつて紡糸原液の凝固浴13の導入位置は最終工程の巻取枠16による巻取りの引張り張力の影響を受けず、従つてこの導入位置が巻取枠16の方向に片寄ることはない。」(同5欄36行~44行)

(F)また、上記各記載および各実施例における得られた中空糸の外径が紡出口の孔径に比してはるかに小さい旨の記載を見れば、補正前の明細書には、紡糸口金から吐出された紡糸原液が凝固、再生を経て巻取られるまでの間において延伸されていることが示されている。

そこで、これらの主張を参酌しながら検討する。一般に「延伸」というのは、

「化合繊製造工程で、繊維を構成する巨大な分子の配列をよくして、抗張力の向上とか伸度の調整とかをはかるため、口金から押出された凝固した状態の繊維を、緊張をかけ、引き伸ばすことをいう。」(現代繊維辞典、第112頁、延伸の項株式会社センイ・ジヤアナル社発行)

ことをさしており、このため繊維を延伸する工程(延伸工程)で所望の倍率に引き延ばし、そのあとさらに生じた分子配列あるいは配向を固定するなどしている。出願公告された明細書を精査しても、紡糸原液を口金から吐出し、空気中を自由落下させ、ついで凝固し、再生して中空糸として巻きとるまでの一連の製造工程で凝固した状態の中空糸を延伸工程で延伸配向させることはまつたく記載されていないし、実施例をみてもこの延伸工程が行われた事実もまつたく読みとれない。

延伸という用語が紡糸原液を紡糸口金から吐出し、空気中を自由落下させる際に使用されているから、この段階で延伸配向しているのであるという主張がなされているが、この際の「延伸」という語は、公告時の公報(甲第8号証)の第4欄第2~8行、特に第8~10行に記載されているように「自由落下による延伸によつて紡糸原液が引伸され」ることを意味しており、これを言い換えると、セルロース濃度が10.0%のセルロース水溶液の紡糸原液を紡糸口金から太い液体の流れとして吐出し、これを空気中で自由落下させながら自然にきわめて細い液体の流れに変化させることを意味している。そうすると繊維を延伸しているのではないから、この延伸なる用語が「延伸配向」を意味することにはならない。

また、被請求人の主張する(F)項のところで、得られる中空糸の外径が紡出口の孔径に比してはるかに小さい旨の記載をみれば凝固、再生を経て巻取られるまでの間において延伸されていることが示されているとしているが、上述したように口金から吐出した紡糸原液の太い液体の流れが自由落下する間にきわめて細い液体の流れに変化するものであるから、凝固、再生を経て巻取られるまでの間においてわざわざ延伸しなくてもきわめて細い中空糸となることがはつきりしている。したがつて、この点からみても中空糸を延伸しているということはできない。

結局、上述した一般的な意味での延伸は、中空糸の製造に関する記載をみても何ら行われていないことになる。

〈3〉さらに、本件発明の製造例などを参酌した場合に、中空糸を延伸配向させる工程で処理していないにもかかわらず、結果として一連の製造する工程のどこかで多少でも延伸配向された状態と同じような状態の配向した中空糸が生ずる可能性があるかどうかの点を検討してみることとする。

紡糸原液の空気中での自然落下させる工程では上述〈2〉での説明のように配向する余地はないが、原液が凝固浴中を通過して凝固する際には銅アンモニアセルローズは凝固が比較的緩慢で均斉に進む(甲第16号証)ことが知られているので、この凝固工程では通常巻きとりの力つまり多少ともテンシヨンがかかつているので、多少配向が生じながら凝固が進行していくことも予想される。

このように紡糸原液から中空糸の製品となるまでの間に何らかの原因で多少配向が生ずる可能性があることを完全に否定することはできない。このことから延伸配向が技術的事項として示唆されているとみることもできる。

(ⅱ)の点について

上述したように延伸配向についての技術的事項が出願公告時の明細書に示唆するところがあるとする場合、この技術的事項を中空糸という物品の新たな規定要件として特許請求の範囲に追加できるのかという点について検討する。

公告決定の謄本の送達前であれば明細書の開示の範囲内である限り、この開示事項を新たな規定要件として追加することは要旨の変更とはみなされないが、公告決定の謄本の送達後においては明細書での開示の範囲内のものであつても無制限に新しい要件を追加したり、要件を削除したりすることは許されなくなる。つまり特許法第64条に規定する範囲内での補正に限定される。

本件の場合、出願公告された特許請求の範囲で中空糸がもつべき性質としてあげられているのは「全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する」ことと、

「全繊維長並びに全周囲にわたつて数μ乃至450μの、均一な壁厚」と「10μ乃至1000μの真円形外径」をもつこと

の実質的に3つの要件だけに限られている。

特許法第64条で規定する特許請求の範囲の減縮とは特許請求の範囲の欄に記載された発明の構成に欠くことができない事項について、その内容、ことに範囲、性質などを減縮することと解され、本件の場合、上述の3つの要件をさらに範囲などの点から限定をつけ加えるとか規定するなどの補正は特許請求の範囲の減縮として容認される。しかし、上述の三つの要件以外の新たな第4の要件を特許請求の範囲に追加することは、特許請求の範囲の減縮に該当しないこととなり、本件の場合新たな第4の要件である「延伸配向されている」という要件を追加することはこの減縮に該当しないものとなる。また、この補正が誤記の訂正、明瞭でない記載の釈明のいずれにも該当しないことは明らかである。つまり、本件の「延伸配向されている」という要件を新たに追加する補正は特許法第64条の規定に違反し、これは請求人が参考例2および3として提示された判例でみるとおりである。

加えて、「延伸配向されている」という新たな要件を追加する補正が認められない以上、この要件に伴う効果の追加についても当然その補正は特許法第64条の規定に違反するものとなる。

してみると、このような補正が特許法第64条の規定に違反したものとなる以上、このような補正がなかつた特許出願について特許が付与されたものとみなすという特許法第42条の規定が本件特許に適用されることとなる。

同様な理由により、昭和52年9月6日付手続補正書および昭和52年9月19日付手続補正書で、「延伸力のかかつた」あるいは「延伸されてなる」という第4の新たな要件を追加する補正はそれぞれ特許法第64条の規定に違反するものであるので、これら補正がなされなかつた特許出願について特許が付与されたこととなる。

上述したように、昭和53年3月1日付手続補正、昭和52年9月6日付手続補正および昭和52年9月19日付手続補正は、特許法第64条の規定に違反するものであるので、特許法第42条の規定によりこれら補正がなされなかつた特許出願について特許がなされたものとなるので、本件発明の要旨は上述のⅠで認定したとおりとなる。

Ⅴ(無効事由の有無)

(ⅰ)証拠刊行物に記載されている事実

まず、各証拠にどのような事実が記載されているのかを検討する。

甲第7号証および甲第11~13号証は本件出願前わが国で頒布されたことが明らかな刊行物であつて、各甲号証に記載されている内容は以下のとおりである。

甲第7号証

人工腎臓などに使用する透析用中空毛細管チユーブとその製造方法が記載され、毛細管チユーブとして透析用のものは壁厚が25μ以下であり、かつチユーブの内径が1mm以下でなければならないこと、これを製造するにはポリスチレンなどの補助毛細管チユーブに透析用の材料をコーティングし、次いでこれを硬化させ、最後に芯となつている補助毛細管チユーブだけを溶解除去することによつて製造すること、この透析用毛細管チユーブの材料として銅アンモニアセルローズ溶液が使用され、酸で凝固再生させてセルローズとしたものが示されている。

甲第11号証

分離膜として細い中空繊維を使用した溶液処理装置が記載されており、

特に浸透、逆浸透、透析の処理を行う場合にはこの中空繊維の材料として、セルローズアセテート、トリアセテートなどのセルローズエステル(モノ、ジ、トリの各エステルあるいはこれらの混合物)、メチル、エチル、ヒドロキシアルキル、カルボキシアルキルなどのセルローズエーテル、再生セルローズ、ポリビニルアルコール、多糖類などが使用されること、これらの材料のあるものは他のものよりも容易に細い中空繊維を形成することができ、この発明を実施する場合もつとも有利に中空繊維に変換しうる材料はセルローズトリアセテートであること、

中空繊維の寸法について、最良寸法は処理する対象によつて幾分変化するし、また繊維材料の極限強さにしたがつて幾分変化すること、一般には中空繊維の均一壁厚は繊維の外径の〈省略〉~〈省略〉の範囲に保持するのが適当であるし、また一般には中空繊維は少くとも1cmあたり7キロの外部圧力に対して崩壊を生ずることがないようにする必要があり、このためには最大外径は300μをこえないようにするべきで、さらに有利な範囲は10~50μまでの間であること、大部分の目的に対する中空繊維の壁厚のもつとも有利な範囲は2~20μであり一般に好適とされる作業範囲は1~50μであること、

泥状体、懸濁体および溶液から、特に溶液が粒状材料と関連する場合に、溶媒を除去するために適当であり、このような方法の例としては水溶ラテツクス懸濁、果物および野菜ジユースならびに下水沈積物の濃縮があること、

本発明を透析と組合わせた直接浸透に対して応用した例は次にのべる人工腎臓の場合である。この腎臓は透析によつて血液から尿および関連物質を除去しかつ浸透によつて血液から浮腫水を除去するために設計されたものであること、

前記腎臓は本発明による容器によつて構成され、この場合中空繊維は再生セルロースによつて形成されており、その外径は200ミクロン、内径は160ミクロン、作動長さは5.8糎となつている。5.1×104の中空繊維を使用することによつて全移動面積は15000平方糎となること、

再生セルロース材料は尿、その関連物質および水に対しては浸透を有しているが、血漿蛋白および血球に対しては不浸透である。なお前記材料は中空繊維を通る溶液中に溶解しない物質に対しても不浸透である。適当な圧力で中空繊維に送給され所要の流量を与えるこの溶液はなるべくポリエチレングリコールの8パーセント水溶液であること、

使用される血液の流量は毎分350ミリリツトルで、グリコール溶液の流量は毎分1750ミリリツトルである。筐体から排出される生成物は血液から除去された検出し得る尿およびその関連物質の86パーセントを有する血液と、毎分40ミリリツトルの割合でそれから除去された水よりなつていること、

さらにこの溶液処理装置は各種の一般型の分離作業に有効に適用することができるとし、各種の例が具体的に列挙され、その中の「Ⅴ透析」の項目のF項に「F人工血管、動脈などの血液透析」があること、

がそれぞれ示されている。

甲第12号証

これは甲第11号証の米国特許に対応するものであつて、技術的にはおおむね同じ内容のものであるが、使用する中空繊維の製造方法として、使用する繊維形成材料によつて異なるが、溶融、乾燥(または蒸発)および湿式紡糸法によつて調整することができるとし、このような中空繊維は英国特許第514638号明細書(甲第13号証)の教示するところにより製造される旨の記載がある。

甲第13号証

人造繊維の製造法であつて、あまりよくまざりあわない二種類の物質を、ノズルの内側部から芯部分を形成するように、ノズルの外側部からさや部分を形成するように同時にノズルから吐出して紡糸する方法が記載されており、その例10には中空繊維を製造する唯一の例があり、ここでは銅アンモニアセルローズ溶液をノズルの外側部から吐出し、一方、0.5%カセイソーダ水溶液にセルローズグリコールエーテルを30%濃度となるように溶解した溶液をノズルの内側部から吐出して、芯さや構造の繊維を形成し、次いででき上がつた繊維から稀アルカリで埋め込まれたセルローズグリコールエーテルを溶かし出す方法が示されている。

(ⅱ)証拠との対比判断

対比判断するにあたり、本件発明の対象である透析用中空糸がどの範囲のものまで対象とするのかを本件発明の効果の認定などの必要上明確にすることとする。

本件発明の透析用中空糸は、以下で述べるように、逆滲透用膜とか人工腎臓用透析膜ばかりでなく、通常の物質分離用膜として利用されるものまでも対象とするものであつて、通常「透析」という概念に含まれる分離操作は、飲食品の処理であれ、血液透析であれ、海水処理であれ、すべて対象となるものと解される。

というのは、本件公告時の明細書第2欄第13行以下に本件発明に至るまでの経緯が説明され、物質分離用膜素材として中空糸が分離膜の有効面積を飛躍的に増大させ、装置を小型化する上で不可欠であるなどの点をあげたあと、第3欄第19行以下で「上述した欠点を除去するとともに、さらに逆滲透用膜あるいは人工腎臓用透析膜に使用してきわめて有用な銅アンモニアセルローズ繊維より成る中空糸を提供することを目的とするもの」であるとし、また第7欄第35行以下で「物質分離用膜として有用であり、特に逆滲透用膜あるいは人工腎臓用透析膜として好適である」としている。要するに物質分離用透析膜として、特には逆滲透用膜あるいは人工腎臓用透析膜として有用な透析用中空糸ということであつて、血液透析用などという透析のさらに下位概念の用途に限定されているものではない。したがつて、上述のように本件の対象である透析用中空糸は人工腎臓などに用いられる血液透析用だけに限られることなく、一番広い透析という概念に含まれる分離操作に使用される中空糸と解することとする。

(イ)甲第7号証について

本件発明と甲第7号証記載の発明とを対比すると、本件発明も甲第7号証記載の発明もともに、全繊維長にわたつて連続貫通した中空部を有する銅アンモニアセルローズ繊維からなる透析用中空繊維に関するものであつて、この点で両者は一致している。しかし、本件発明が壁厚が数μ乃至60μ、真円形外径が10μ乃至数百μという規定がなされているのに対し、甲第7号証の発明では、壁厚が25μ以下、中空繊維の内径が1mm以下でなければならないという記載があり、この点で両者は一応の相違点がみられる。

この相違点につき検討すると、本件発明での壁厚が数μ乃至60μ、甲第7号証の発明では25μ以下という数値上の相違があるが、両者はともに壁厚が25μ以下のところでは重複しており、この点では差異が認められない。

また外径の点では、甲第7号証の発明では内径が1mm以下すなわち1000μ以下、壁厚が25μ以下ということであるからこれを外径になおすと1000+25×2=1050すなわち、外径は1050μ以下でなければならないことになる。そうすると、外径が本件発明では10μ~数百μ、甲第7号証では1050μ以下という数値上の相違はあるが、本件発明の外径は甲第7号証の外径の数値範囲に含まれるものであり、この点で両者に差異が認められない。

しかも、本件発明で、「全繊維長並びに全周囲にわたつて…均一な壁厚及び…の真円形外径」という表現がなされているが、被請求人も答弁書で述べているように実際の製造においてはそれぞれかなりの変動が生ずるものであつてみれば、甲第7号証においても同程度の中空糸が得られるものと認められる。

そして、本件発明が、このような構成をとることによる透析用中空糸としての効果、例えばNaCl分子及び尿素分子は透析するが、アルブミンは透析しないなどの効果も格別優れたものということはできない。

そうすると、本件発明は、甲第7号証に記載された発明から当業者が容易に発明することができたものであつて、特許法第29条第2項の規定に該当し、この規定に違反して特許されたものと認められる。

(ロ)甲第11~13号証について

本件発明と甲第11、12号証に記載された発明とを対比すると、甲第11、12号証には透析用中空繊維に関する発明が記載され、ここでは最大外径が300μをこえないもので、有利な範囲は10~50μの範囲にあること、壁厚として一般には1~50μであるが、最も有利な範囲は2~20μであること、さらに、血液透析用中空繊維として壁厚が20μ、外径が200μのもの(壁厚については外径が200μ、内径が160μであるから、壁厚はその差40μの半分つまり20μとなる。)が示されており、これらの壁厚と外径は本件発明のものと重複するか包含されるものであるから、本件発明と甲第11、12号証の発明とは透析用中空繊維で壁厚も外径も一致している。しかし、中空繊維を形成する材料が、本件発明が銅アンモニアセルローズであるのに対し、甲第11、12号証では再生セルローズという上位概念の表現がなされている点で両者は相違している。

この相違点について、被請求人は再生セルローズには銅アンモニアセルローズ、ビスコース繊維セルローズアセテートのケン化物などがあるが、甲第11、12号証でいつている再生セルロースはこのうちのセルローズアセテートのケン化物をさすものであるとし、その理由として甲第11、12号証の特許出願人であるダウ社がこの特許出願をした5年後にセルローズアセテートのケン化物の中空繊維を市販したからであるとしている。

しかし、甲第11、12号証で再生セルローズをあげているのは血液透析用の中空繊維を形成する材料としてのものであつて、甲第11、12号証の特許出願人が企業化して市販した事実とは直接関係があるとはいえない。

そして、甲第12号証には、同号証で使用する中空繊維が甲第13号証に開示された中空繊維製造技術を利用すれば容易に製造することができる旨記載されており、その甲第13号証にはその例10で中空繊維を製造する唯一の例として、銅アモニアセルローズ溶液から中空繊維を製造している例が記載されている。そうしてみると甲第12号証で再生セルローズとしているのは実質的に銅アンモニアセルローズから中空繊維を製造したものを意味していると解するのが一番自然な解釈である。さらに、甲第11、12号証で血液透析としての詳細な説明がなされていることからみると、この血液透析材料として一般によく知られ、認識されているのは銅アンモニアセルロースであるから、再生セルローズという表現はとつていても血液透析用材料として実質的に銅アンモニアセルローズをさしていると解するのが一番自然である。

したがつて、甲第11、12号証で再生セルローズというのは実質的に銅アンモニアセルローズを示している以上、この点に差異があるものとはいえない。

しかも、本件発明で、「全繊維長並びに全周囲にわたつて…均一な壁厚及び…の真円形外径」という表現がなされているが、被請求人も弁駁書で述べているように実際の製造においてはそれぞれかなりの変動が生ずるものであつてみれば、甲第11、12号証においても同程度の中空糸が得られるものと認められる。

そして、本件発明が、このような構成をとることによる透析用中空糸としての効果、例えばNaCl分子及び尿素分子は透析するが、アルブミンは透析しないなどの効果も格別優れたものということはできない。

また、甲第11号証と甲第12号証でいう再生セルローズが直接銅アンモニアセルローズを意味するものとはいえないとした場合でも、本件発明の明細書の記載からみても、甲第11、12号証で開示された再生セルローズよりなる中空繊維に対して、本件発明での再生セルローズの下位概念に相当する銅アンモニアセルローズよりなる中空繊維が透析用中空繊維として別個の発明あるいは別異の発明を構成するに足る根拠も効果もまつたく示されていない。

そうすると、本件発明は、甲第11~13号証に記載された発明から当業者が容易に発明することができたものであつて、特許法第29条第2項の規定に該当し、この規定に違反して特許されたものと認められる。

(ⅲ)その他の無効事由の有無

請求人は、上述した無効事由のほかに、本件特許の明細書の記載などの点で不備があると申立てている。しかしながら、これらの点を判断するまでもなく、前記(ⅱ)の点で本件発明を無効にすべき事由が存在するので、これらの点については判断しない。

Ⅵ(むすび)

以上のとおりであるから、本件発明は、甲第7号証、あるいは甲第11~13号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件特許は、特許法第29条第2項の規定に違反してされたものと認められ、同法第123条第1項第1号の規定に該当し、無効にすべきものである。

よつて、結論のとおり審決する。

平成1年11月24日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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